自然に囲まれたNY北部に住む日本人が、現地の習慣や価値観等、日本とのあらゆる違いを紹介します。アメリカ留学、移住、旅行等、アメリカに興味のある人向けです。

アメリカでボランティア活動をして感じたこと その2

前回の続き。とはいえ自分自身が楽しくなければボランティア活動は続きはしない。近所の友人達は、ボランティアの消防隊に入ったり、海外留学生を受け入れるホストファミリーや、捨てられた動物を一時的に保護する人や、ボーイスカウトのリーダーとして様々な体験をさせてあげる人など、これらを無償で行っている。
この他にもたくさんある中で、まず簡単なものとしてやり始めたのは、雪が積もった際に消火活動がしやすいよう、地域の消火栓全てに積もった雪かきをするボランティアに参加した。これはやってみると何と清々しいことか。防災の役にささやかながらも貢献しているという充実感、他のボランティアとともに何かを一生懸命に行うという連帯感を感じられ、また子供も参加させたのでいい勉強になったと思うし、いい運動にもなった。
正直この作業を賃金計算したら、などと金のことを気にしだすと、ボランティアの作業効率低下だけでなく、目的意義すら変わってしまうのでそこはしっかり線引きし、今は営利活動ではなく奉仕活動の時間だ、として心を切り替える。
自分の住む地域のためにいい事をした、という精神的満足感が、その日の午後以降も気分を穏やかにかつ安定させ、生活にある程度の刺激が生まれ、心がポジティブになる。心がリフレッシュされ普段の仕事でのやる気や効率性が向上したり、妻も参加しているので共同で新規に何かをやっている事実、二人で地域に貢献しているという満足感により、家庭内の雰囲気が良くなったり、ちょっとした事でいらいらすることが少なくなったり、生きる目的がもう一つ増えたような気がして次はどこでボランティア活動しようか、と楽しんでいる自分がいたり、他のボランティアの人から頼りにされると、自分の存在意義がまた一つ増え精神的により安定したりする。
副次的に、パレードに自分が参加して歩きたい、という夢も、ボランティア活動をしていることで達成でき、ボランティアがらみでの友人も結構増え、地域と繋がっている感覚は心地がいい。こうしたことが積もり積もって、結果的に人生への幸福度が高まるような気がしてならない。最初は、無償でボランティア活動をしてみようか、と始めたことが、お金を使わずとも自身や家族の幸福度を上げる格好になっているのに気づく。
与えよ、されば道は開かれんとはこういうことか、と感じる瞬間である。