自然に囲まれたNY北部に住む日本人が、現地の習慣や価値観等、日本とのあらゆる違いを紹介します。アメリカ留学、移住、旅行等、アメリカに興味のある人向けです。

英語を話すのを完全に止める時

私がアメリカ人の妻と口論になった際によくすることがある。それは英語から日本語に変えることである。普段私たち夫婦の会話は英語である。その理由はアメリカに住んでいるとか、妻の日本語がぜんぜんだめとか、日本語は英語より難しいからとか何とかで、日本人の私が英語を使ってやり妻と会話する。
この英語を「使ってやっている」点が大事で、特に妻には声を大にして言いたい。向こうは母国語の英語で話すのだから、至って楽で自然だ。一方こちらは大人になって独学で学んだような英語であるから、英語で会話する、という土俵に立った時点で、既にかなりのハンディキャップがある。それはまるで、100m走で、妻はいつも50m地点からスタートしているようなもので、会話する際私はいつも不利の立場であり、アウェイの気分だ。
毎日の会話だから、相手は慣れきっているのであろう、そういうこちらの努力を忘れているもしくは軽んじているような節がある。特に口論になった際、向こうは母国語で言いたい放題言える。アメリカ人によくある討論好きで論理的に畳み掛ける論法で来るから、手馴れた魔法のように自由自在に畳み掛けてくる。片や私は、英語で話すわけだが、相手に理解させ納得させるための話の筋道や論理を考える事だけでなく、それを的確な英語で論破しなくては妻に勝てない。仕方がないからこちらが英語を「使ってやっている」という事を逆手にしているのか、と思ってしまう位の口調で攻め立ててくる。そうなると、こちらに余計の負荷があるようで、不利である。
あまりにも馬鹿馬鹿しい時、私は英語を使うのをきっぱり止める。そして日本語で攻め立てる。日本語であるから、スラスラと両手から次々と攻撃魔法が出てくるようだ。そうすると妻はひるむ。私が普段味わさせられている重荷を、時々妻にも感じさせ再認識してもらう。第二言語で話すというのは、いろいろ大変なんだよ、という事を再認識させるには口論の時が最適で、スパッと私が日本語に切り替えると、後は自分の意見を論理的に諭すのみに集中すればいいので、勝率が大変上がる。妻が、私のそういう努力があって夫婦の会話自体ができているのだ、という事自体忘れ、感謝の気持ちもなくなって来ていそうな時は、私は完全に日本語に切り替える。頻度はまれで可愛らしい抵抗ではあるけれども。