自然に囲まれたNY北部に住む日本人が、現地の習慣や価値観等、日本とのあらゆる違いを紹介します。アメリカ留学、移住、旅行等、アメリカに興味のある人向けです。

アメリカ永住権と日本の国民年金

私はその道の専門家ではないけども、アメリカ永住権と日本の国民年金について思う所を書いてみます。
日本に住む母が、私が住むアメリカでの家、家族、環境などを大変気に入り、自分も何とかアメリカに永住できないものか、と私に相談してきた事があった。私としては別に構わなかったが、そのために思いついた最も手っ取り早い方法は、私が永住者からアメリカ市民権に変える、というものだった。
だが弁護士や領事館などにいろいろ相談したところ、晴れて私がアメリカ市民になった後、母が永住権を取るために私が母のスポンサーとなるには、手続きが複雑であるほか一定の財産が必要であるなど、いろいろと規定がある事が分かった。
なかでも悩ましかったのは、私が日本国籍を喪失すると、日本の国民年金を任意加入として以降納めることが出来なくなり、老後受け取れる金額が減る、ということであった。
現時点でどれだけ日本の年金を納めたかによるし、日米社会保障協定である程度の救済処置はあるが、日米の年金共最大値の支給を考えている私にとってそれはやや痛かった。
また母は高齢であり、なにかと病院によく通う。そのための保険代、診察代薬代、大きな病気や入院にかかる可能性は高いので、それをどう工面するか、というのも頭を悩ませた。それ以前に、社交的な人ではあるものの英語が全く話せないので、ほぼ私の家族のみ、という限られた環境でのアメリカ生活もいずれストレスになるのではないか、と察することが出来た。
私自身、日本の年金もアメリカの年金や401k等とともに老後収入の1つに位置づけている点、もしアメリカ国内で戦争になれば私と家族が日本に簡単に帰れる点などを希望していることもあり、母には大変申し訳ないが、私がアメリカ市民権を取ることはやめにした。その代わりに毎年日本又はアメリカで会うことにしている。人により様々であると思うが、そういう訳で私は永住者でアメリカ市民ではない。今後もそうすると思う。

Read More......

海外永住者の帰省状況

アメリカに永住している私にとって、日本にいる親の存在はいつも気にかかる。高齢であるからなおさらだ。私の場合、だいたい1年に1回を目安に、日本かアメリカで互いに会うようにしている。他の人はどれくらいの頻度で会っているのか、知り合いに聞いてみた。
近所に住むアメリカ永住のある日本人女性は、3年に1回と決めていると言い、帰るのは家族全員ではなくたいてい一人らしい。別の日本人女性は5年以上帰っていないと言う。別の人は、電話は時々するが、日本から親を呼寄せたことは、移住後15年以上経っても1度もないと言う。どちらの人も旅費が高くつくからだと言う。
日本に永住するアメリカ人男性は、アメリカに帰省は結婚後10年以上経っても単身での1回のみで、親が日本に会いに行った事は一度もないと言う。
なお周りにいる日本からの駐在員は、日本出張を除き、ほとんど日本に帰らず、呼寄せもせず、親と会わない人が大半だ。忙しいし、いずれ日本に帰るから必要ない、と言う人が多く、もしそういう時間があれば日本以外の、駐在場所から近いどこかへ旅行している、と言う。
どうも私の周りの永住者は、親と会う機会は大変少ない人が多い。子供がいなかったり、移住後すぐの場合、帰省は新鮮味もあり楽しいかもしれないが、子供が大きくなれば飛行機代はかなりかさむ。自分が仕事をしていれば、単身で日本へ里帰りしても何週間も日本にはなかなか滞在できない環境になりかねない。日本の親が永住先に来れないのであれば、移住後親と会う頻度は減っていくものだろうか。
あるサイトでは、日本に帰省、里帰りする海外永住の日本人はおよそ4割程度だと言う。そうすれば、私が母と年に1度会うようにしているのは、かなり稀なほうなのだろうか。ハワイや中国、韓国に住むのと違い、ニューヨークへは金も時間も結構かかる。だが母は80歳を越えても単身でアメリカに会いに来てくれる。父を亡くしより寂しいのだろうか、遠くても息子家族に会いに行くのは毎年の楽しみになっているようで、特に観光地に行くわけでもなく、子供と孫に囲まれた生活が幸せなのだ、と言ってくれる。
つまり海外永住者の多くは、帰省したいもしくは親と会いたいと思っていても、金銭面や仕事の都合、子供がいるなどの家庭状況で、なかなか親と会っていない状況のようだ。国際結婚し海外永住する人のある種宿命のようにも取れなくもなく、なんとなく寂しい気がする。中には永住先年数が日本で暮らした年数を上回り、ここが自分の故郷、と発想を変える人もいるようだ。

Read More......

年を取って新しい音楽を聴くということ

年を取ると流行っている音楽を聴かなくなりがちだ。若い頃は、音楽を聴くことが生活の大きな部分を占めていて、様々なアルバムを買い、流行の曲を次から次へと聴いていた。周りの友人達と知らなかった音楽を教えあい、相当聴いた。
だが今となっては、聴くのは若い頃聴いたそれらの曲がメインである。そういう曲は、あの頃にタイムスリップできるような気がして、当時の自分やしていた事や当時の恋人など、その曲を初めて聴いた頃の風景や記憶も甦る。曲それ自体を楽しむだけでなく、そうしたプラスアルファの特典がついているようで、それはそれで心地よい感覚はある。
だがいずれ飽きてくる。33歳をピークに人は新しい音楽を聴かなくなるなどという研究が発表されたくらいである。曲が増えないから、自分のプレイリストは知り尽くしたいつもの昔の曲で、新鮮味がない。かといって流行りの曲は、多くは恋愛を歌った10代20代向けが多いので、今の自分と立場や価値観が違うし、昔のようにその曲と今の自分がシンクロするような境遇でもなくなった。陳腐な低レベルな曲がよく売れるものだ、と思ってしまうこともあり、ああ自分も変わったな、と思う反面、どこか寂しい。昔のように歌をどんどん知りたい気はあるからだ。
昔よく聴いた歌手がまだ現役で曲を出しているのなら、自分を同じく年を重ねただけ、曲も今の自分に割ととっつきやすいと思うが、なかなかそうも行かない。私のようにアメリカに永住してしまっていては、日本の曲を知る情報減が更に少なくなりかねない。また妻と私の音楽の嗜好は全く違うので、妻を情報源の一つとする手段はない。
たまにおおっこれはすごい!、と思うような曲や歌手に場当たり的に遭遇することはある。それは宝探しのようで、昔ならCDショップですぐ気に入ったり興味のあるCDを見つけられたが、今はその確率はかなり低くなった。
一方で若い頃あまり聴かなかったクラシックやジャズをよく聴くようになった。車に乗る時もクラシックFMをよく聴いている。なぜか心地よく入ってくるからだ。だが歌はたいていないので位置づけはBGMに近く、やはり心に響く歌ものが聴きたい。以前80歳を越える妻の祖父の家に行った際、1940s BestというCDが置いてあり、なんとなく分かる気がした。そうなりたくはないが、将来私もそうなりそうな気がして、想像するとあまり楽しくはない。

Read More......

びっくりしたアメリカ人のリアクションが疲れる件

びっくりした時、どんな声をあげますか?強烈にびっくりした時は悲鳴になるかもしれないが、多くの日本人は「あっ!」とか「うわっ!」とか「うそっ!」などと声をあげるかと思う。一方アメリカ人は「Oh my God!」とか「Holy Cow!」とか「Shit!」などいろいろあるが、私が個人的にいらいらする、アメリカ人がびっくりした時にするリアクションがある。
それは、口で一気に息を吸い、「ハァッ!」、と呼吸音と声と半々のようなリアクションだ。完全な声ではないので、文字で「ハァッ!」、と書くとやや変だが、この一気に息を吸ってのリアクションはいらいらする。身近でも、妻、子供、親族全員がこのリアクションを取る。私は日本で青年まで育ったせいか分からないが、この「ハァッ!」を聞くと(強盗が侵入したとか毒蛇に噛まれたとか)、声に出せないほどの相当な危機や危険が発生したかのように、発した人のほうへ瞬時に振り向いてしまう。発した人が隣の部屋などにいる時、助けようと超特急で駆けつけてしまう。
だが実際彼らが発する「ハァッ!」は、ほとんどが大したことではない。水をこぼしたとか、携帯電話の充電がなくなっていたとか、そんなことでいちいち「ハァッ!」と言うなと思う。私にとって「ハァッ!」は声にも出せないような生命の危機に瀕するような時のもので、一日に何回も聞くと、正直疲れる。
それは妻と付き合い始めた頃からで、連発する彼女にふつふつと軽いジャブを受けるかのように実は長い間いらいらしていたが、彼らが頻繁に「ハァッ!」とびっくりする事、また未だに私がそれにつられ彼ら以上にびっくりし、大したことでなかったと分かった時の脱力感は、結構疲れる。
彼らが予期していなかったような話、例えばネズミ捕り器にねずみがかかって死んでた、とか来月旅行にでも行こうか、等と私が言えば「ハァッ!」、とリアクションしてきて、しばしば話をした私のほうがそれを聞いて逆にびっくりする。アメリカ人はリアクション好きなのか、オーバーリアクションなのか、日本人が割りと質素なのか、あれには未だに慣れない。
大量のクリスマスプレゼントをもらい、いちいち彼らが「ハァッ!」、と息を飲んでびっくりするのは、事前に想定の範囲内であるので、いつものようにつられて彼ら以上にびっくりはしないが、それでも心のどこかで「ハァッ!」に反応し心拍数が若干上がっているような気はする。

Read More......

部活をする子供を持つ親がする事

アメリカでは、多くの親が子供の部活動を見学しに来る事がある。私の家は、中学校の数件隣であるので、夕方になるとグラウンドに大勢の親がやってくる。私はそのグラウンドに面した道を通る必要があるが、彼らによる車の往来が激しく、路上駐車したり、止める所を探そうとウロウロ徐行運転する車がいて先になかなか進めなかったりと、地元住民にとっては結構迷惑だ。
グラウンド真横の家は、自分のドライブウェーに誰かが車を止めないよう、コーンを置いたり、私有地のため車を止めるな、との張り紙を立てかけたりと、大変そうだ。
部活動は、雪が降る冬以外のたいてい夕方に行われ、アメフトやサッカー、野球、ソフトボール、陸上競技やチアリーディングの練習がよく行われている。だいたい夕方5時頃から、夜8時9時頃までやっていることがあり、大きな歓声や審判のホイッスルなどがよく聞こえてくる。多い日は車が50台以上グラウンドに横付けされているのを見ることがある。
日本では子供の部活動を普段から見る習慣はあまりないかもしれないが、こちらでは比較的自由に見ることができ、親は折りたたみ椅子を持参し、ピクニックシートを敷いて応援している。それは試合ではなく、通常の練習である。
日本だと家でテレビなど見てのんびりしたいような時間に、彼らは足繁く学校へ行き、自分の子供を応援しに行くのである。家に帰れば夜9時や10時になるだろうから、子も親も大変だろうが、親は子供の成長を見れ、子供と過ごす時間を持っているという点で、それはそれで有意義な時間を過ごせているかもしれない。

Read More......

日本語レッスンにユニークな生徒が来た話 その2

前回の続き。私の日本語レッスンの生徒の一人であった、アメリカ人の高校教師は、当初ほとんど日本や日本語について知らなかった。三回ほど私と彼女でレッスンを行った後、その高校で初めて、彼女による日本の授業が始まった。人気があったらしく、日本のクラスは当初予定の1クラスでなく2クラスできる事になり、1クラス30人ずつで、空きはなく満杯だったそうである。彼女は相当緊張したと言う。
当初私は、彼女自身が全く日本語が分からなかったので、日本語の文法や熟語単語をせっせと教えることは難しいだろうから、日本や日本語を楽しみながら慣れ親しんでもらうような簡単な内容にしたらどうか、と提案した。
彼女も同じ考えだったらしく、文法は超基本的なことにとどめ、それらを簡単なゲーム方式にて聞く話すの能力を養わせ、その他に日本文化や今の日本で流行っているものなどを紹介し、そして日本のアニメや今人気の歌を字幕つきで時々見せるような授業方式にすることにしたようだ。
同時に私はけん玉や将棋の駒、カルタ、招き猫の置物、扇子、こま、日経新聞、日本語のフリーペーパー、英語による日本の百科事典のほか、幼児向け絵本、少年ジャンプ、浴衣、下駄などアメリカ人高校生が興味を持ちそうな物を彼女に貸したり、高校生が好きそうな英語字幕つき日本アニメのDVDを貸したりした。
日本のクラスを希望した高校生の大半は、アニメに興味がある者で、残り少数は簡単に単位を取れると見込んだ者だったらしい。当初彼らの多くはすでに彼女より日本や日本語をよく知っていて、私が最初に彼女に教えたあいさつで使う日本語を、彼女がクラスで教えると、発音が下手だ、と突っ込まれ、生徒の方が流暢に話すので恥ずかしかったらしい。
そこで私は何度もゆっくりと彼女に日本語を話し、基本的な指示語、形容詞、動詞と、数字、時刻の読み方、慣用表現等を教えた。フランス語教師だからか、彼女は文法の要点を理解するのがとても上手く、それらを学校の生徒たちに説明し、ゲームをさせ、場つなぎで時々彼らが好きと言う日本のアニメを英語字幕つきで見せたと言う。
彼女の日本語クラスはかなりの好評だったようで、授業後も多くの生徒が日本の話をしていたり、次回の授業の内容は何かといろいろ聞いてきたり、別の高校教師は「生徒たちは私の数学の授業中でも日本の話ばかりしてくるわ」、とからかわれたり、日本の興味のある事柄を書かせるレポートを出したところ、彼女が知らない様々な日本文化や習慣などを多くの生徒が興味深く調べ上げ、彼らの熱意にびっくりしたというほどの人気ぶりだったらしい。
ど田舎の高校で、日本の授業が人気というのは、自分のことのように嬉しかった。来年も彼女の学校で日本の授業が行われるか不明だが、彼ら高校生たちがとても楽しんで日本の授業を受けていたのを聞くと、私も協力出来た事が嬉しかったし、他の多くの学校でも日本の授業が行われるといいなと思った。

Read More......

日本語レッスンにユニークな生徒が来た話 その1

私が教えている日本語レッスンの生徒に、あるアメリカ人女性がいた。一番最初のレッスン日に、互いに自己紹介をし、日本の文化、習慣、流行っているものなどを写真で紹介し、日本の基礎情報、そしてあいさつする場面での日本語を教えた。私が話す日本の話に結構食いついてくるような感じで、モチベーションが高そうなのでこれから覚えが早そうかな、という印象だった。
だが翌週、二回目のレッスン時に、顔を赤らめてやってきて、I have to tell you something.(言わなきゃいけない事がある)と真剣なまなざしで言ってきた。聞くと、彼女は近所でフランス語を教えている高校教師で、実は学校の方針でいろいろな世界を知ろう、というプログラムが作られ、彼女の学校で初めて、日本語の授業が始まることになり、彼女が担当し教えることになった、という。
フランス語やスペイン語などの授業は前々からあったが、日本語というマイナーな授業を、20週間という期間限定で担当することになり、日本語など全く知らない彼女にとっては青天の霹靂だったようで、半分涙目でHelp me!と懇願してきた。
もし、そういう事情なら教えない、と私が断ってきたらどうしよう、と前日彼女はあまり眠れなかったらしく、正直に話してくれたようだった。私は別に気にしないし、助けてあげられる訳だし、必要なら私がゲストとして学校のクラスで何か話でもできたら面白いね、等と言うと、とても喜んでくれた。
それから、私がいろいろ教えたり紹介した事を、翌週に彼女が高校の日本の授業で使う、という少しユニークなレッスンを始めた。次回は日本語でおはよう、とありがとう、しか知らなかった彼女が、どうやって日本の授業を行ったか書いてみる。

Read More......

落ち葉かきという地獄

アメリカの家は大抵日本のより大きい。家が大きければ庭も大きい。庭も大きければ、木も大きい。寒冷地にある私の家の木であっても葉は毎年生える訳で、秋にはその落ち葉掃除はかなりの重労働になる。
 私の家にも大きな木が3本あり、毎年その大量の落ち葉に頭を悩ます。人が乗るトラクタータイプの芝刈り機に、巨大バッグと巨大ホースを取り付け、落ち葉だらけの庭を綺麗にする。手押しタイプの芝刈り機の場合も同じくバッグを取り付け落ち葉を集める。
だがバッグはすぐ一杯になる。集めては捨て、の繰り返しで庭の落ち葉を全部綺麗に取り除くには、25mプールが数個ほどの庭で約一時間はかかる。これのない家庭は、くま手を使い、家族総出でせっせと落ち葉かきをせねばならない。芝刈り機を買うまでは、そのくま手、レーキでせっせとかいていた。気が狂いそうなほど大変で、ようやく終わったと思えば、翌日雨や風が強かったりで、すぐ落ち葉のじゅうたんに戻った庭を見れば、とてもがっかりしたものだ。
そうした重労働を避けるために、秋が来る前の夏までの間に、木の枝を刈り、庭先に捨てる家庭をちらほら見かける。そうした大量の枯れ枝、枯れ葉は、専用の業者が回収しに来る。なお楓の木の場合、住居建設用に欲しがる人がまれにいて、木を綺麗に切ってもらい、お金を貰った友人がいる。
木を切る際、業者を呼んで切ってもらう人もいるし、数メートル伸びる高所枝切りバサミ兼ノコギリで切る人もいる。だが自分でやる際は注意が必要で、一気に太い枝を切ってしまうと、下にある屋根やバーベキュースタンドなどを破壊してしまいかねない。また根こそぎ伐採してしまうと、場合により家に日陰が出来なくなり、家の中が暑くなり、私のお隣さんみたいに夏場はずっとクーラーをつけねばならなくなる。庭の木とその葉をいつ切るか、どれくらい残すか、そのいい塩梅は未だになかなか難しいものがある。

Read More......

月金は大体休みの同僚たち

私のオフィスでは、たくさんのアメリカ人が働いているが、彼らの多くは月曜日か、金曜日はよく休む。全員ではないが、これらの日に出てきても午後休にする人も結構いて、アメリカと日本の仕事への取り組み方の違いを感じられるような気がして興味深い。
私の部署は日本人のみの部署で、何人かは日本からの出向組である。今も根強く日本にある、周りが休まないから自分も休むのははばかれる、と言い滅多に休まない。彼らは有給休暇をいつも上限まで持っており、毎年超えた分は使うことなく消えていく。お金で支払われる訳ではなく、ゴールデンウィークやお盆もアメリカにはないし、事あるごとに休めばいいのに、と私は言うが今まで日本でそうだったように、アメリカに来てもほとんど使わない。
私はもうアメリカ生活のほうが長くなってきたからか、周りのアメリカ人のように有給休暇をバンバン使う。事前にとても忙しいと分かっている日にあえて休むことはしないが、周りの目は気にしなくなった。出向組が休まなくても、私や他のアメリカ人たちはどんどん消化する。アメリカ人たちは、毎回のPaycheckを見て、あといくら有給休暇が残っているか確認し、年度内に全て消化してしまうよう計画する人が多い。連休にするため、月曜や金曜は社内の人の数や、駐車場に止まっている車の数も比較的空いている。
一方で、個人的に人が少なくなるのは快適だ。なぜなら、多くのアメリカ人は私語や世間話が多く、うるさい。しばしば彼らは世間話をして腹を抱えるほど大笑いをしたり、笑いすぎていびきのような音を出して笑ったり、歌を歌ったり、ヘッドフォンをつけるのを忘れてYoutubeを見ていたり、相手のデスクに行って話せばいいのに歩くのが面倒臭いのか、数メートル離れている互いのデスクにいながら大きな声で会話する。彼らのデスクの間に私の席があるので、彼らの大きな会話が私の頭上で飛び交い、時々いらいらするからだ。日本ではあまり見られない光景かもしれない。

Read More......

田舎へUターン移住する人々

最近テレビで、都会を離れ過疎が進む田舎で、農業などを始める日本人の若者が増えているとやっていた。それを見て私はなんだか嬉しくなった。都会の忙しい生活に孤独を感じたり疲れたり、自然とともに暮らす質素な生活を求めたり、田舎により残る地域の人々との物理的、精神的繋がりを求めたり、地域活性化に一役買いたいと思ったりと、様々な理由で田舎に移り住む人々を見て、その番組を見る限り田舎に移り住み生活するのがちょっとした流行になっているのかなと感じさえした。
田舎で生まれずっと暮らしてきた人にとって、都会で暮らしてみたい、という気持ちは分からないでもない。だが一度都会で住んでみて、やはり自分には田舎のほうがよいと、大人になって戻る人もいる。それはアメリカでもそうで、田舎の高校卒業後単身でLAに移り、いろいろやって14年後やはり田舎がいいと故郷に戻ってきた友人もいるし、卒業後数年大都市で働いたが、その後実家の田舎に戻るという人もたくさんいる。田舎に住むのがダサいとか時代遅れだ、という考えがもし薄らいできているのであれば、それは本人だけでなく移り住む田舎の経済にとってもいい効果があるように思う。
そういう風潮や人々の価値観の変化だけでなく、地方でも移住者への補助金や制度の優遇、有利な制度の新設、またインターネットの普及で山奥でも仕事が出来る環境にあるのも、田舎に移り住む人々を後押ししてくれている。 田舎の既存企業へ就職する他に、農業、漁業を始めたり、土地の名産特産品、工芸品を習い作ったり、なければ自ら地ビールを作ったり、既存のものに新たに何かを加えた新ビジネスを一から作ったりする人が増えている。
地方で働く人口が増えると、地域経済や産業活性化などだけでなく、出生率向上、失業率低下、幸福度の向上など、大きなうねりがよい方向へ動いていってくれそうな気がする。まだその動きは小さいかもしれないが、株のように人々の予感や期待もさらに高まることができれば、Uターン移住者やその地域も応じて、より発展する事につながるかもと思った。

Read More......

目を合わせない日本人 その2

日本からへ留学してくる高校生とそのホストファミリーに対して、生活がスムーズに行っているか、いろいろ助言やお世話、世間話などをボランティアでやっているが、彼ら留学生でも多くは私の目を見ない。
単に恥ずかしがっているのであれば、会話の内容もたどたどしくなるものだが、話は出来るのに目は見ない学生もちらほらいる。最初の頃はそうでも、半年、一年経てば彼らも英語力だけでなく、目を見て話をするようになる。ああよかった、いろんな意味で成長したな、と思える瞬間である。
あるTV番組で、ゲストに呼ばれたある会社の副社長が、いろいろ話をしていたが、回りの誰とも目と合わせずに誰もいない空間に向かって話していたのは異様に見えた。そして時々下目目線とも言うべきやり方で聞き手に一瞬目をやる。チラ見をしていた。
コンピューターでメールやチャットなど、正面に人を介さない手段での会話に慣れたのか、何とも度胸がない印象を受けた。目を見て話さないと言うのは、かなりの恥ずかしがりであったり、自信がなかったり、嘘を言っていたりと、何らかの理由があるはずだが、周りがみんなそうしているから自分も感化され目を見ないで話すようになったというのであればそれも寂しい。声だけでなく目や表情でも会話をするものであるから、相手の目をもっと見て話をするといいのになあ、とそうした日本人をみて思うのであった。

Read More......

目を合わせない日本人 その1

日本のTVを見ていてふと気づくのだが、日本人の一定数の人、特に比較的若い人の多くは相手の目を見ない。インタビューや対談などで、話をする際、その内容はしっかりしていても、聞き手の目を見ない。全然関係のない遠くをずっと見て、まれに相手を「チラ見」する。まるで見てはいけない物を見るかのように、まれに一瞬チラ見する。そしてまたどこか遠くを見ながら声だけ相手に伝えている。
それを見て、何とも言えない違和感やよそよそしさ、寂しさを感じるだけでなく、日本にいた頃の昔の自分も一時期そうだったような気がして、変なデジャブを感じた。アメリカ生活が長くなり、アメリカの価値観や習慣にかなり適応してきた一つの結果なのか、私が話をする時は相手の顔を見る。それは普通の日本人からすれば、ガン見で、思いっきり見ていると思われるかもしれない。声だけでなくて、表情もそのキャッチボールの重要な要素となる。アメリカでは私の知る限り、ほとんど全ての人が相手の顔を見て話をする。
そうであるだけに、日本人の多くがする相手の顔を見ない会話は、むなしい。相手と必要以上に仲を深めたくないのか、目を見るのは恥ずかしいのか、新しい流行的価値観なのか、あまり相手の目を見て嫌がられたくないからなのか、長い間日本に住んでいないので、その本音は分からない。
だがどんな理由であれ、私が聞き手であれば、こちらを滅多に見ないで話されるのはきっと寂しいと思う。私のこと嫌いなのか、とか、何か気に障ることでも言ったかな、と思ってしまうかもしれない。だが話の内容はしっかりしているのにただこちらを見ないのであれば、コミュニケーション不足なのかな、自分に自信がないのかな、常に一定距離を置くことがこの人の快適方法なのかな、と要らぬ勘繰りをしてしまいそうで、終始目を合わせてこない態度なら、私とその人と今後友人になるかならないかの答えは明らかになる。

Read More......

アメリカに永住する2種類の日本人

私がアメリカに住み始めて変わった事の一つは、日本の頃と比べて生活が質素かつ喜楽になったことだ。
日本にいた頃は周りに振り回されていたかのごとく、新しい情報や新商品、流行になどに乗り遅れないようにしようと、心のどこかであせっており、心の平安を感じることがなかなか出来なかったように思う。それは年齢やどこに住んでいたかにも影響するものの、精神的にも、物理的にも、アメリカで生活するようになってのんびりと、質素な生活を送れるようになったと思う。
例えばテレビを見る場合、日本だと見れば余計に疲れた。視聴者に不安をあおるようなニュース番組や情報番組が大変多く、見て楽しくなれるものはあまりなかった。また街を歩けば人と関わりあいを避けようとするかのごとく、あくせくと時間に追われる人々が周りにいると、自分にも多少の影響は受ける。知らぬ間にそういう人々の一人になってしまいかねない。
私が住む場所は、マンハッタンのような都会ではなく、かなりの田舎であるから、これも自分にかなり影響を受けた。アメリカの田舎暮らしは自分がなりたかった将来像に手助けをしてくれるほうに近く、周囲の人々や町並みがのんびりしているし、1980年代以前の日本で感じられた、人々の他人への親切心や心のつながりがここで感じられるから、自分もそういう風に感化を受ける。日本にいた頃には考えられなかったが、何にもないような日々が実は最高の日々のような気になってくる。
もっともっと、と欲深く何かを追うことが減り、周りの人々のように家族との時間、家での時間を最も大切にし、のんびり過ごす事が幸せであるように思えてくるようになる。スケジュール帳はアメリカに来てから持ったことがないし、流行を気にせず自分のしたい事をする、という周りのアメリカ人によくあるスタンスが、自分にも大変上手く行った。自分が幸福と思える基準となるレベルが自然と下がっていた事に気づき、多くの事柄に日本時代ほどストレスを感じることがなくなり、多くが受け入れられるようになった。
自分主体で周りの目を気にすることもなくなったし、多くの会社は残業しないし、人とつながっている感覚があり、心に余裕が大変持てるようになったのも、アメリカ生活のメリットになったと思う。人により、大都会が好きで、いつもあくせく動くほうが好きと言う人もいるだろうが、幸運にもアメリカの田舎での生活は、自分によく合う。
以前テレビで、アメリカ移住後半世紀以上永住している日本人が言うには、アメリカに永住しにくる日本人には2種類いる、一つは打ちのめされて日本へ帰る者、もう一つはどっぷり適応して現地の人間になる者だ、と言っていたが、幸運にもきっと私は後者の部類になれたかもしれない。

Read More......

仕事後あまり飲みに行かないアメリカ人

アメリカで仕事をしていると感じる違いの一つに、アメリカ人の特に既婚者の多くは仕事後飲みに行かないというのがある。
日本で勤めていた時は、上司や部下、お得意様などと一緒に飲みに行こうと誘われ、帰るのが夜遅くになる事は頻繁であった。最終電車では同じように酔いつぶれたサラリーマンが熟睡しており、酒臭かった車内を覚えている。
アメリカでは、人によるものの夕方5時や6時の定時になると、たいてい皆家に直行する。仕事後は、新しい一日が始まるような気持ちの切り替えをしているようで、帰宅後の家族との時間を大切にする。キリスト教にあるように、労働は苦や罰のような概念が彼らにあるのか、さっさと終わらせて家族や自分だけの時間を早く持てるように仕事をするスタンスに近いものがある。
なので、それを引きずるような、上司などの仕事関連の人々との飲み会はあまり行かない。もちろん仕事後全く同僚たちと会わないわけではなく、一緒にバーなどで飲む人は飲むわけだが、それでも通常会う場合、自宅に招いてバーベキューをしたり、ゴルフをしたり、家族を連れて開放的な時間で接することがある。これも仕事のうちと、居酒屋で上司や同僚の愚痴を聞くような、やや陰惨な雰囲気がしかねないものでなく、爽やかなものだ。
私の会社の場合、同僚が退職や異動したり、新入社員が入社したりした場合でも、仕事後バーに行くというよりは、昼食時間に皆でレストランに行き、パーティーをすることが大半だ。なので、仕事後の飲み会や週末のゴルフは、親睦を深めたり上司に可愛がられるための出世競争の一つなどという発想はアメリカではあまりなく、仕事後や週末は仕事を忘れて、各自好きなように過ごしてリフレッシュする、というのが暗黙の了解であるようで、勤務時間外で滅多に同僚と会うことはなく、結構のんびり過ごすことが出来る。

Read More......

フェスティバルだらけの週末生活

日本に住んでいた頃は、祭りと言えば春の桜祭りと、盆の花火大会くらいであった。他にもあるにはあったが、ほぼその2つだけであり、他は特にこれといって祭りやイベントはなかった。だが私が住むNY北部では、春から秋にかけてほぼ毎週のようにフェスティバルやイベントが周辺地域で開催される。桜祭りはないが、屋台が出展する花火大会はいくつもある。他にどんなものが開催されているか、簡単に書いてみる。
フェスティバルは、各市町村が独立して様々なものが開催される。多くがそのエリアの目抜き通りを閉鎖し、歩行者天国にし、道両側に様々な種類の屋台や地域の会社団体、ボランティアなどのブース、音楽ライブなどで埋め尽くされるフェスティバルが多い。
フェスティバルの名前はいろいろだが形態は大体同じで、腹が減ったので単に出店でピザを食べる、だけではなく、ユニークな食材を売る屋台、ラジオ局、私立学校、ダンススクール、ボーイスカウト、射撃場、家庭用太陽光発電パネルなど、地域で活動している小規模ビジネスのブース、手作りのユニークな雑貨や絵画、工芸品や化粧品などを売る個人ビジネスのブース、子供向けのバウンスハウスやフェイスペインティングやマジックショー、風船を曲げて動物にしてくれるサービス、地域で活動するボランティアの紹介ブースなどがある多種多様のフェスティバルで、たいてい多くの人で賑わう。この種のフェスティバルが週一のペースで、車で行ける距離のどこかで行われている。入場料は多くが無料だ。
他には、学校キャンパスを開放し、数百もの科学実験ブースを作り、学生や教授たちが披露し市民に親しんでもらう地元の科学系大学が行う祭りや、花を何百万株も植えている大きな公園一帯で開かれるフェスティバル、メモリアルデーや独立記念日、Labor Day、クリスマス前に行われるパレードや、プロミュージシャンが相当数参加し至る所でジャズ演奏が行われるジャズフェスティバル、5キロの市民マラソン大会、海賊フェスティバル、トルコフェスティバルやウクライナフェスティバルなど、主にその国由来の教会が主催するもの、消防署のイベント、気球レース、戦闘機アクロバットショー、コンサート、車に乗ったまま映画を見るドライブインシアター、移動式遊園地のカーニバルなどが、各市町村でそれぞれ開催される。
地域有志が作ってくれる5月から9月までの年間フェスティバル/イベント表には、68ものそういうイベントが掲載されていた。至る所でフェスティバルが行われるのは、おそらく、周辺各市町村の人口が少ないので、小規模のフェスティバルが比較的簡単に開催できるからかもしれない。
だが興味深いのは、その催行者側も多くがボランティアや地域住民であり、箱物でお客様として受身一辺倒ではなく、送り手受け手双方が参加した、ほのぼのと楽しむような節があるので、フェスティバルに遠出してものんびりとした週末を過ごせる気分になる。

Read More......

ターミネーター集団が走る夏

私が住むNY北部は、気候は北海道に大体近い。冬はしばしば吹雪が起こり、積雪量もかなりある。だが春から秋にかけて、暖かくなると、短い夏を楽しもうとある人々が登場する。ライダー集団である。
ナンバープレートを見る限りNY州なので、近隣に住んでいる人々だと思うが、たいてい5人から10人程度のバイク集団で道を走るのを、夏の特に週末に頻繁に見かける。
NY北部は日本と違い、滝のような汗をかくことは滅多になく、暑い日でも割りと過ごしやすい。そして森林が多く、どこまでもまっすぐ続くような道が多く、ドライブは気持ちがいい。田舎なので道も空いていて、平日のラッシュアワーを除けば渋滞はない。Interstateである、大陸横断の高速を除き、全てのハイウェイは無料だ。ライダーたちには走りやすい地域だと思う。
そして彼らのいでたちは、ほぼ共通して黒尽くめの服である。皮のジャンパーやベスト、皮のズボンとサングラスで、ターミネーターがバイクに乗っているような連中が10人程度隊列をなしてドライブしている感じである。またほぼ全てがアメリカンバイクであり、ドドドドッと低音の聞いたエンジン音を撒き散らしながら走る。映画イージーライダーの曲の、Born to be wildが彼らのテーマ曲のような気さえする。
皆で純粋にドライブを楽しむためか、猛スピードは出さず、トラックのように他の車を先に譲ってくれやすい。年齢は大体が中年で、10代、20歳代の人はあまり見かけない。多くが40,50代の男性で、プロレスラーのようなイカツイ風貌に、髭を伸ばしている。二人乗りをしているのはたいていその妻か恋人のようで、彼女たちもまたターミネーターの女性版のような恐々しい雰囲気を醸し出していることもある。
彼らが昼飯などでレストランに立ち寄った際、当然駐車場にもアメリカンバイクが10台ほど駐車され大変目立ち、店内でも黒尽くめのレスラーのような連中が数テーブルを占拠するのですぐ分かる。だが彼らはそういう服を着てそういうバイクに乗って、純粋にそういう時間を楽しんでいるのであって、周りに迷惑をかけるのを楽しむような輩ではない。彼らの運転や店内での態度を見ているとかなり紳士である。

Read More......

「他の人に見られると恥ずかしいからやめなさい」

アメリカは特に人種のるつぼであるので、様々な人が様々な考え方を持つ。そして十人十色の社会で生きていくと、考え方の相違、価値観の相違というのは日本でいるよりも起きやすいのかもしれない。そのため、自分の意見や考え方をしっかり言う、という自分という主観的な発想が身についていく。これは日本に住んでいた時と異なる考え方であった。
日本ではいかに他人と合わせるか、他者からはみ出さず協調するか、という価値観であったが、アメリカに住むとそういう優先順位はかなり下がり、どれだけ自分の意見をしっかり言えるか、自分はどうしたいのか、どうありたいのか、というまず自分ありきの発想がまず来る。
この両方の価値観を備えた上で、偶然に日本人の母親が子供を叱る時に「他の人に見られると恥ずかしいからやめなさい!」などど言っているのを聞くと、違和感を感じる。自分という主観はさておき、まず他人にどう見られるか、周りからはみ出さないよう、恥ずかしさを感じないようにする事を高い優先順位に挙げているようにさえ感じる。穿った見方をすれば人に見られなかったら陰でやってもまあよし、とも取れなくもない。
他人からどう思われるか(実際他人はこちらのことなどそれほど気にしないと思うが)、周りから逸しない言動行動、そういうものさしを第一義で使うと、自分という主観はあまり育たない。周りからはみ出さなければそれでよし、という個をそれほど尊重されないようで、アメリカに住むとそこに違和感を感じる時がある。
そのせいか、日本での学生時代、周りにいた帰国子女のその正々堂々した落ち着いた態度というか、どこか芯が通ったようなところに、いい意味で違和感を感じたものだ。恐らく、海外生活で苦労を経験しただけでなく、現地人のように主体の対象を他人から自分自身によりシフトできたからかもしれない。いずれにしろ自分にとってよい方、行きたいと思うほうに舵を取り、取捨選択していけば、将来的により人間的に幅のある大人になれるのかもしれないと、昔居酒屋で友に語っていたのが懐かしい。

Read More......

海外で現地の友人を作る方法

アメリカに限らず、海外に住んで現地の友人を作りたい。渡米当初は特にそう思った。だがなかなかアメリカでアメリカ人の友人ができない。バーに繰り出すのもいいが、客はたいてい仲間と飲むために来ていて、下手くそな英語ではなおさら、いきなり友人になれるのは難しい。友人探しなのか恋人探しなのか線引きが難しい場合もある。
隣近所の人と仲良くなるのは手っ取り早いが、全員がそう友好的とも限らないし、仕事や何かで一日中家を空けていて話す機会がそうなかったり、年が離れすぎたり、共通の趣味や話題も合うとは限らない。ましてやアメリカに来て日本人同士ばかりでつるんでいては、留学の場合何しに来ているのか本末転倒になるし、海外在住の醍醐味など味わえない。
いろいろ試行錯誤した挙句、効果的だったのはボランティアに参加することだった。小学校で教師のアシスタントをしたり、飼い主のいない犬や猫の動物シェルターで動物の世話を手伝ったり、町中の消火栓の掃除をしたり、様々なNGOで食事を作るなど、いろいろある。たくさんある中でどんなボランティア団体に入るか、活動内容や活動時期等にもよるが、集まってボランティア活動をするのはたいてい一週間に一度、少なくとも月に数回はある。例え自分の英語がつたなくても、人々と同じ活動をするということで即座に周りと仲間意識を感じられ、周りも向こうから気さくに話しかけてきて、友好的である。時々彼らとパーティーなどすることもある。
バーや行き当たりばったりの集団でなく、同じ目的を持つボランティア団体にいれば、何かと得ることも多い。ボランティアであるので、基本無給であるが、こちらからの出費もいらない。よそよそしさもなく、皆仲間という意識でいるので、助け合おうと言う共通意識があるため疎外感は生まれにくい。
またそのボランティア活動の内容を軸に、話すネタ、聞くネタはどんどん出てくる。ネイティブの英語を気楽に、タダで受けられ、上達も出来る。そして地域社会に貢献している、というその行為自体、気持ちが清々しい。自分は良い事をしているという充実感を持った生活が過ごせる。余裕があれば、ボランティア活動をいくつかかけ持ちしてみても良い。たいていは英語力はそれほど問われない。何のためにやっているか、つまり地域社会に貢献するというその目的が彼らと同じであり、そこに少しプラスして、友人を作る、語学力を高める、現地生活に馴染む、などが加わっているだけだと思っていれば良い。時間さえ都合がつけば、ボランティア活動も手っ取り早い友人作りの方法になるのである。

Read More......

アメリカでボランティア活動をして感じたこと その2

前回の続き。とはいえ自分自身が楽しくなければボランティア活動は続きはしない。近所の友人達は、ボランティアの消防隊に入ったり、海外留学生を受け入れるホストファミリーや、捨てられた動物を一時的に保護する人や、ボーイスカウトのリーダーとして様々な体験をさせてあげる人など、これらを無償で行っている。
この他にもたくさんある中で、まず簡単なものとしてやり始めたのは、雪が積もった際に消火活動がしやすいよう、地域の消火栓全てに積もった雪かきをするボランティアに参加した。これはやってみると何と清々しいことか。防災の役にささやかながらも貢献しているという充実感、他のボランティアとともに何かを一生懸命に行うという連帯感を感じられ、また子供も参加させたのでいい勉強になったと思うし、いい運動にもなった。
正直この作業を賃金計算したら、などと金のことを気にしだすと、ボランティアの作業効率低下だけでなく、目的意義すら変わってしまうのでそこはしっかり線引きし、今は営利活動ではなく奉仕活動の時間だ、として心を切り替える。
自分の住む地域のためにいい事をした、という精神的満足感が、その日の午後以降も気分を穏やかにかつ安定させ、生活にある程度の刺激が生まれ、心がポジティブになる。心がリフレッシュされ普段の仕事でのやる気や効率性が向上したり、妻も参加しているので共同で新規に何かをやっている事実、二人で地域に貢献しているという満足感により、家庭内の雰囲気が良くなったり、ちょっとした事でいらいらすることが少なくなったり、生きる目的がもう一つ増えたような気がして次はどこでボランティア活動しようか、と楽しんでいる自分がいたり、他のボランティアの人から頼りにされると、自分の存在意義がまた一つ増え精神的により安定したりする。
副次的に、パレードに自分が参加して歩きたい、という夢も、ボランティア活動をしていることで達成でき、ボランティアがらみでの友人も結構増え、地域と繋がっている感覚は心地がいい。こうしたことが積もり積もって、結果的に人生への幸福度が高まるような気がしてならない。最初は、無償でボランティア活動をしてみようか、と始めたことが、お金を使わずとも自身や家族の幸福度を上げる格好になっているのに気づく。
与えよ、されば道は開かれんとはこういうことか、と感じる瞬間である。

Read More......

アメリカでボランティア活動をして感じたこと その1

アメリカではボランティアが盛んだ。これはアメリカ生活での大きな特徴の一つで、私自身かなり評価している。他人の身になって共感し、無償で、時に定期的に手伝う、という行為は、恩恵を受ける受け手だけでなく送り手の方も気持ちがいい。地域に貢献しているという充実感、世代を超えて助けあい繋がっているという連帯感、また自分が求められているという存在意義の感覚は、なかなかいい。
そしてアメリカでは子供が小さいうちから、様々なイベントなどでボランティア活動の機会に触れやすい。堅苦しくなく、人々と助け合うのはよいことだ、という価値観が育まれていく。アメリカの高校生が、アイビーリーグに行きたい場合でも、その勉強したい分野に関連するボランティアをどれだけやったか、また充実した奉仕活動をしたか、というのはある程度判断基準にされると言われる。
ボランティアとして助け合う、という社会貢献活動の土壌が浸透しているので、自分で一から作り始めなくても、また自分の住む地域でもボランティアを募集しているグループや団体、NPOなどを簡単に見つけられる。
金がない時や、仕事や育児などで忙しい場合、ボランティアなどしている所ではない、と考えるのではなくて、仕事をして賃金を貰う経済的インセンティブつまり労働時間とは別に、他者や社会のために何かを貢献したみたいという社会的、道徳的インセンティブを確保することも、生活を本当に豊かにする上で必要であるという考え方である。まず他人に与える行為が回りまわって自分の幸せにも繋がる、というようなイメージで、それは多くの人の格言や宗教の書物等にしばしば登場もする。
年を取るたび今の自分に何が出来るか、と考えた時、地域への奉仕活動が今までなおざりになっていたような気がした。自分のことばかりで、自分のための金儲けや自分の家族のために使う時間、と言うように、地域への貢献活動という意識の優先順位は相当低かった。私は億万長者ではないし、仕事のほか用事ややりたい事はいろいろある。だが何か地域のために無償でボランティア活動するのは、決してマイナスではない。相手だけでなく、こちらにも学ぶことがあると思った。そして何のボランティア活動をし始めたかは、次回に続く。

Read More......

隣人との対抗意識 その2

前回の続き。多くのアメリカの家では、庭が広いため、いろいろとユニークな方法で庭造りをする人が多い。私の両向かい、両隣もそういう人々なので、私も時間があればよりよい庭造りのため何かをしている。
隣の芝生は青い、で、こちらも何かしなくては、という気にさせられる。家族や友人、親族などは、よく庭で何かをしている私に、この家がとても好きなのね、等と言ってくれるが、自分のためなのか隣人たちに後れを取らないためなのか、一生懸命庭造りや庭仕事をしている真の目的が分からなくなる瞬間もある。
幸い隣人たちとはよく話すので、互いの庭を見せあったり次に考えている庭のプロジェクトを教えあったりしているが、そこでも変な対抗意識が出る。新しくて高い日曜大工用器具を隣人が買ったのを知ったり、発想もなかった庭のリメイクを知ると、笑顔で賞賛するものの、心では「くっそー、こっちも何かかっこいいアイデアはないものか」と、ある種嫉妬や競争心に更に火がつく。だが彼らの多くは退職者であったり、夫婦でガーデニングを愛でていたり、庭にかける物理的時間が違う。
さらにいいアイデアばかりそうそう思いつくわけではないので、Pinterestなどのウェブサイトを見て、全米の人々の庭のMakeover(改造、作り変え)のアイデアを参照したりする。やはりアメリカ人と日本人ではその発想やアイデアの方向が違うなあ、等と変に感心してしまうほど、彼らの庭造りのアイデアは彼らなりの価値観でユニークである。
これもいい、あれもいいと、いろいろなアイデアを自分の庭でやってみたいと調子に乗ると、金が大量にかかるだけでなく、統一感なくごちゃごちゃし、結局落ち着けない庭にもなりかねない。時間と金に相談して、主体である自分とその家族がくつろげる空間を作れたらそれでいいではないか、とある程度納得させ、過度に隣人たちより張り合おうという気をなくさないといけないと思う。広い芝生を手入れするだけでも十分美しいし、仕事や他の用事の合間を縫って、張り合うようにあれこれと次々に庭のMakeoverを考え実行するのは、疲れてきたのが本音である。

Read More......

隣人との対抗意識 その1

アメリカの家に住んでいると、変な対抗意識を感じることがある。アメリカで家を持つと、たいていは大きな庭がある。隣人たちも同じく大きな庭があり、彼らの庭とこちらの庭とで、どちらが美しいか、どちらがより手入れをしたり、よりユニークな庭造りをしているかなど、比べたくなる。
私が住むエリアの場合、家の前、後ろに、25mプールが何個も入るようなスペースを持つ庭を持つ家がたくさんある。そして思い思いに庭を綺麗にアレンジしている。ただ芝生が広がるだけの庭も美しいが、たいていはそれぞれにアレンジをしている。
例えば、木の根元や家の周りなどに花壇を植えたり、木や枝で作った高いゲートを作ったり、キャンプファイヤー用の焚き火スペースを作ったり、水が自動で流れ続ける滝や小川や池や風車を作ったり、ビニールハウスを作ったり、夜になると脇に電気が付く歩道を作ったり、フェアリーハウス(妖精の家)を作ったり、様々かつ大量の野菜や花を植えたり、巨大なプールやジャグジーを作ったり、テントやプライベートでくつろげるテラスデッキを造ったり、庭にTVを置いて見れるよう電気工事をしたり、数トンのロールを使って庭の凹凸を平らにしたり、砂利を敷いてアクセントをつけたり、公園顔負けのたくさんの遊具を置いたり、バーベキュースタンドを作ったり、ハンモックを置いたり、サウナ専用、カラオケバー専用の離れ小屋や第二第三のShed(ガレージ)を作ったり、子供用にバスケットボールやサッカーのゴールや、器械体操用のあん馬や平均台、平行棒や吊り輪を置いたり、スケートボード用のRamp(ハープパイプ)を置いたりと、庭の広さを利用して自由でより楽しい空間作りに精を出す家が多い。その2へ続く。

Read More......

日本語レッスンで意識していること

日本語をアメリカ人に教えていていて、ユーモアセンスが必要だな、とよく思う。日本での学校でよくある授業のように、教師が詰め込み教え続け、生徒は黙ったままのような、一方的な授業はあまり通用しない。
経験上、彼らは少しでも気になった箇所は私の話をさえぎって聞いてくる。そこでもし、きちんと理にかなう説明をしないと、こいつはだめだ、とそれ以降の彼らのやる気が失せてくる。そして一方的にテキストの内容を詰め込むのではなく、時折世間話やジョークなどで和ませ、日本関連の私の経験談などを取り入れると、たいてい上手くいく。
どちらかというと、アメリカ人は短距離走者のようで、集中する時はかなりするが、日本人ほどそれほど続かないようで、息抜き、ガス抜きの意味でリフレッシュさせてあげると授業に大変弾みが付く。そこで手っ取り早いのが笑いである。
これはアメリカ人の仕事でも大体当てはまるが、ガガガッと集中して、少し息抜きする。この繰り返しを無意識に彼らは望んでいるように感じる。笑いを取る、ユーモアセンスというけれど、それは普通の日本人には簡単にはできない。アメリカ流の話術の上達が必要で、アメリカのトークショーやコメディー番組をよく見て、どういう風に笑わせているのかまねたり、緩急をつけた授業展開を積む経験が必要だ。
例えば、生徒の一人が日本旅行をしてきた際、トイレの便器の多くがTOTOと書いてあって驚いた、とリフレッシュをしたそうに授業内容に逸れた話をしてきた際は、少し付き合ってあげる。ああ、そうですね、と単に相槌を打つのも悪くないが、しばらくロックバンドがトイレ便器を作っていると思っていた、などどジョークを言うと、ハハハハハ、と笑ってくる。愛想笑いでなく、面白いと笑わせる事ができれば、こちらの勝ちである。
例え世間話が長引いて今日の授業でやりたかったことが出来なくなり、予定が狂ったとしても、私的にはそれでもいい。笑わせた後の残りの授業は、生徒の理解力が高まる。そしてスムーズに進む。日本語教師であると同時に、コメディアンのようにどうやって笑わせてやろう、といつもタイミングをうかがっている自分もいる。

Read More......

私が行う日本語レッスン

私はアメリカで日本語も教えている。もともと人に何かを教える事が好きであったこと、以前日本語教師の資格を取ったこと、また仕事と家の往復だけでなく、地域と繋がりを感じられる何かをしたい、と考えていたので、小さな田舎町であるが日本語を教えている。
まず驚くのは、田舎町でも日本に興味を持つ人が思いのほか多いということだ。生徒の動機は様々だが、例えば日本のアニメとビジュアル系音楽に傾倒していて、それら日本語の意味をもっと知りたいと言う高校生や、一度日本旅行をして感動し、毎年日本旅行するために日本語を習いに来る定年退職した老夫婦や、大学で日本語のクラスを受講しているが、夏季休暇の時のみ予習のため習いに来る大学生や、近々家族で日本旅行をするので、事前に知っておくべき事柄や文化歴史などを直接日本人から知っておきたいと言う人々、日本に出張が決まったのでビジネス用日本語を教えて欲しいと言うビジネスマンなど、こんな田舎でも結構いるものだ、と驚かさせる。
普段の会社員としての仕事が終われば、すぐ日本語を教えに行く。仕事後家に直帰し、のんびり出来ればいいだろうが、日本語を教えた後は大抵気分が爽快で、一日の充実感を得られる。地域の人々に日本語を通して微力ながらも貢献している、という感覚はなかなかよい。自分にもう一つの顔があるようで、気分のメリハリもつく。そして日本旅行から帰ってきた老夫婦が、トラブルもなく、あなたのおかげでいろんな日本人と会話できました、ありがとう、と言われたときは大変嬉しい。大学の来期授業用にたくさん予習を手伝ってあげた生徒から、成績はAを取れた、ありがとうと連絡をもらえた時は嬉しい。そして教えた事柄を使用して、少しずつでも日本語のみで会話をし、私との会話のラリーが結構出来るようになってきたと感じる時はオォーと感心し、その上達に嬉しくなる。
アメリカ人相手に日本語を教えるのは楽しい。彼らの上達を自分のことのように思えるし、また何かについて2時間以上話せるものなら、それを一生の仕事とすべし、と誰かが言っていたのを思い出す。日本の言語、文化、習慣、歴史、価値観という超莫大な内容なので、2時間などノートなどなくても楽勝に話せる(また彼らは気になる事はその場で何でも聞いてくる質問魔なので、時間配分を考えないとすぐ終わりの時間になる)。そういうわけで、日本語教師をこれからも趣味に近い感覚でやっていければ、と思う。

Read More......

日本語で訳しづらいが普通に使っている英単語

アメリカで長い間暮らしていても、この英語は日本語で何と言うか、明確でないまま使っている英語はある。例えばUpsetである。探し物が見つからない時、悲しい時、時間がない時など、アメリカ人は様々な場面でUpsetを用いる。Let it be、Dudeなどもその類だ。
たいていはこの英単語は日本語で言うとこれこれ、とイコールですぐ言い換えられるが、Upsetのようにすぐ日本語で出てこない時もある。要するに感覚でその英語を覚えてしまったのである。
新しい英単語や表現を、その都度イコールになる日本語を結びつけて覚えるとよいのだろうが、Upsetのようにかなり幅広く使われ、たった一語で相当する日本語がなかなか思いつかない場合、その英語の感覚やイメージだけで覚えるので、英語では適切な状況でその単語を用いられるが、日本語で言うと何と言うべきかつっかえてしまうのである。
逆にお疲れさまです、やよろしくお願いします、拝啓、敬具、ご健勝など、ある日本語を英語で言う時にスッと出てこない場合もある(この場合は日本独特の言い回しで、いちいち訳さず、英語でその意味を言う必要もなく、日本語で話す時だけ言えばいいのだ、と自分なりに解決して過ごし、何の問題も起こっていない)。
言語というからにはそういう類の両言語で明確にイコール化して理解していないものも、今すぐ思いつかないだけで他に多数あるはずだが、私は通訳や翻訳の仕事をしている訳ではないし、アメリカで普通に暮らせているから、これでいいのだ、と思うように割り切っている。日々の生活でふと今自分が使った英語を、日本語で言うとどうなるか考えた時に、もしふさわしい日本語が出なく、さらに時間がある時にだけ、私よりさらにペラペラのバイリンガルに聞くか、インターネットなどで調べて、ようやく英語日本語でイコールで紐付けられ、一つ解決していくことになると思う。数が膨大であるから、全てを網羅するのは無理と決め込んで、あまり神経質にならず今日一つでも紐付けが出来れば儲けもの、という気楽なスタンスでいることにしている。

Read More......

黒人弁

日本語に関西弁、東北弁などがあるように、アメリカでもテキサス英語、南部なまり、ボストン英語等があると言われるが、それに追加で私がしばしば思うのは、黒人の使う英語もそれらによく似た独特の発音がある。
個人的に黒人の英語は、ラップを歌うかのようによりリズミカルで、より簡単に楽に言おうとするような印象がある。例えばYou are not-.をYou ain't-.と言ったり、Tell themをTell 'emと言ったり、How are you doing?をHow you doin'? と言う等、省略したり簡略したり、スラングをよく用いたりする。それは白人が話す英語よりも多い気がする。そのため日本で習った学校英語ではほとんど出てこず、英語であるけれども初めて聞く独特の言い回しに、何を言っているのか理解するのが難しい時がある。別に彼らが特別難しい内容を言っているからではなく、慣れていない(経験不足)からによるところが大きい。
それはアメリカに住んで結構経つ今でもそうで、時々聞きなおす時すらある。私自身、黒人の友人や仕事の同僚が少ないので、聞いて対応する機会がそれほどないからかもしれないが、自分の中で英語とは、ほぼ全てが白人である妻や親族、近所や仕事の同僚たちが使ういわゆる白人英語であって、それらは頭の中でスムーズに処理できるが、いわゆる黒人英語は頭の中でまるで別言語のように処理され、端々で出てくる意味不明な発音や言葉は、処理不能として別途労力がいる意味補完作業をするか、聞きなおす必要が出てくる。頭の中ではそんなイメージである。職場にはインド人もいくらかいるが、彼らの英語もよく似た印象で、理解に時間がかかる。
逆を言えば、私の日本語混じりの英語も、アメリカ人からすれば聞き取りにくい英語だと思われていることだろう。ペラペラと言う域に達するには、さらにあらゆるタイプの英語を聞くという場数を踏むしかないのかもな、とふと思うのであった。

Read More......

アメリカで使う単位に対応する方法

アメリカに滞在すると、日米で異なる色々な単位、例えば長さのインチ、フィート、マイル、時速のマイル、重さのポンド、通貨のドル、温度の華氏、などにしばしば悩まされる。アメリカで長い間住んでいても未だそう思う。
幼年期を日本で過ごし、20代にアメリカに住み始めたので、こういった類の単位は日本で使うもので体が染み付いている。だから完全にアメリカ式の単位で過ごすとやはり疲れて、87インチなどと言われてもイメージが未だにすぐには湧かない。
だから少しでも負荷やストレスを感じないように、基本的に日本で使う単位のままで暮らしている。家で使う温度計、体重計、メジャー、ものさしは日本で買ってきたものだ。以下は毎日のアメリカ生活で、なるべくストレスをかけない私のイメージだ。
1インチは約3センチ。10インチは約30センチ弱。20インチは約60センチ弱。15インチなら30と60センチの半分弱、という具合に、相当ラフに計算する。1フィートは約30センチ。5フィートは30かける5の1メートル50センチ程度。1ポンドは約500g弱、2ポンドは約1kg弱。靴のサイズは自分のサイズのみ覚えておけば何とかなる。天気予報を見てもすぐ分かるように、手作りの摂氏華氏の表をテレビ横に張っていて、今でもたまに見る。イメージは、華氏50度前後は摂氏10度位でひんやりする感じ、華氏70度前後は摂氏20度くらいで暖かく過ごしやすい、華氏80度越えると暑い、という感じだ。細かい事は気にしない、のがポイントだ。
郷に入りては郷に従え、と言うけれど、日本で使う単位で小さい時から慣れていると未だに面倒臭いことがある。それに世界的に見ても、ヤードポンド法を使用するのはアメリカとミャンマー、リベリアのみと言われるし、日本で用いる単位がむしろ世界水準で、意固地にインチなどを未だに使っているアメリカのためにわざわざ合わせてやっているのだと、計算が面倒臭い時は自分で自分をある種なだめる事がある。
なお日本式の単位に慣れていて、アメリカで使う正確な単位が必要な場合、小さな携帯用計算機か携帯電話の裏面に、1インチ=2.54cmなどと書いた小さな対応表をテープで貼り、パパッと計算するのも手だ。

Read More......

アメリカのホームスクール その5

どうしても経験がないので、うまくいくイメージが湧かない。妻がいろいろとホームスクールの長所を述べた。
ホームスクール経験者の多くがIQが高くなったり、飛び級したり、大人になってからの収入が学校に通った人より何割も多いとか、長所はいろいろ言ってきたが、短所や懸念をほとんど言わない。どうもセールスマンに丸め込まれているような不快な心境になったものだ。友人作りは?子供達との集団生活の経験、協調性はどう育てる?プロの教師よりも、妻が本当に上手く教えられるのか?そうしたもろもろの疑問に対して明確な答えが妻からなく、学校生活が完全でないように、ホームスクールも短所がある、と理解する必要があるなと当初思ったものだ。
経験がないためイメージが湧かず、実際始めたとしてどういう子供に育つのか?子供が大きくなってその子供時代を振り返った際、ホームスクールは私達子供には向いていなかったと後悔しても戻るわけに行かない。貧相な情報の中で投資する様なもので、不愉快であった。
だが結局私が折れた。毎日のように妻が私にホームスクールについてやりたいと揺ぎ無い自信で話してきて、半ば私が折れる形でしぶしぶ認めた。学校に通おうとホームスクールを行おうと、上記のようにそれぞれに長所短所になるポイントはある。
決め手は、妻がホームスクールに詳しく、やる気満々であること、子供も望んでいること、そしてこれは小学校までで、中学一年になれば学校へ行く、という約束をした事、また年二回テストをし、それが平均より下回れば即学校に通わせる、ホームスクールの集まりに頻繁に参加し、友人を作れる環境におき、集団生活を学ばせること等、という私の条件をを妻が飲んだことによる。経験のない私からすれば大きな賭けであった。
もし失敗して子供の学力や、人間的成長が学校に通う生徒より大きく劣ったなら、妻だけでなくしぶしぶでも認めた私への自責の念は一生償えないほどになるだろう。リセットボタンを押して過去に戻せるわけではないので、恐怖心さえあった。今もそれはあるが、大人になって明らかに感じる何かがあるまで分かりにくいものだが、ホームスクールは今でも続いている。

Read More......

アメリカのホームスクール その4

前回の続き。また地域にはホームスクールの集まりがある。同じような家庭の親子が集まって、誰かの家や、YMCAなどのジム(プールや子供用の施設、子供用のスポーツレッスンがたくさんある)、公園、浜辺、農場、(科学)博物館、美術館、図書館、植物園、スキー場、インドア(アイス)スケート場、器械体操の体育館、コミュニティーセンターなどの施設やイベントの場等に集まり、一緒に遊んだり学んだりする。
ホームスクールの親子たちがまとまって何かに参加すると、たいてい無料か、通常入場料よりもかなり安い価格に設定されることが多い(なおホームスクールの家庭であれば、近くの本屋ではホームスクール者用のカードをもらえ、教育関連はいつも20%引きにしてくれる事がある)。何曜日にどこどこでホームスクールの集まりがある、等と言う連絡が頻繁にあり、毎日のようにその集まりに出かけている。
では実際日本人である私はどう思っているか、書いてみる。
子供を学校に行かせるか、ホームスクールにするか、妻と相当な期間話し合った。結局ホームスクールをさせることになったけれども、本当のところは今でも100%賛成している訳ではない。そもそもそれがどういうものか、分からなかった。日本で大学まで学生生活を送った経験しかないので、自分の子供もそういうような生活を送るものと、その二者択一的な発想自体なかったのである。
そのためイメージが湧きにくかった。 家で教えるなど、子供を甘やかせているのではないかとか、親子であればこそ甘えが生じうまくはいかぬ、と啖呵をきったこともあった。好きな事だけさせるような教育ではなく、一般常識や基礎は広く知るべきだと言ったり、小さい頃から他の子供と学校で集団生活し揉まれる事でのみ学べることがたくさんあるはずだとか、ホームスクールでの友達作りは難しい環境であり、学校のように毎日顔を合わさないのにどうやって親友や一生の友人が作れるのだとか、子供同士で何かに取り組み達成する事をしようにも困難な環境ではないかとか、めぐり巡って子供を甘やかせていることにならないかと話し合った。次回に続く。

Read More......

アメリカのホームスクール その3

前回の続き。アメリカではホームスクールとして、学校に行かせず親が子供に教育を行う家庭が増加している。私の家庭もそうで、実際どんな風に教えているか書いてみる。まず朝起きてすぐ、私が用意した日本語のプリントをさせる(妻はアメリカ人なので、日中に日本語を終わらせ私が帰宅後それをチェックし教える)。そしてインターネットでホームスクール用のサイトが大量にあり、そこから今日行う事柄を妻もしくは子供が選ぶ。あるサイトでは、数千ドルする一年間分をセットで購入できる。
家庭により、親主導、子供主導だったり、興味のあるところからやったり、やれそうならば年齢に関係なくどんどん先の内容をやらせたりいろいろだ。基本は保護者がつきっきりになれるので、子供の理解度の進捗状況がよく分かるため、今日やろうとしたことがわからなければ、妻がもっと時間を割き教えたり、昨日の箇所に戻ったり、様々な例を出して子供が理解するまでアドバイスする。理解しており更にやりたがれば、一、二学年上の内容をやらせることもある。
また近くの本屋で買ってきた問題集やドリルも用い、行わせ、図書館に頻繁に通い、様々な本や実験材料を借りてくる。本でもインターネット利用でも、基本は興味を持たせ楽しみながら行わせ、よく褒める。楽しんでいるようなら、少しだけ難しいレベルをさせる。そして自分で解く達成感や満足感、しいては自分で次はこれを学んでみたいという自主性を養わせる。このインターネットと問題集、本がメインで、今日やる予定が全て終われば、例えまだ朝10時であってもその日の勉強は終わる。以降は自由時間になる。TVやTVゲームは私達の場合2時間または映画一本程度までであるが、それ以外なら自主性に任せ自分のしたい事を何でもしてよい。次回に続く。

Read More......

アメリカのホームスクール その2

私の周りにもホームスクールの家庭は多い。実は私の子供も学校に行かせておらず、妻が家で教えている。子供が就学年齢になった時、私は当然のように幼稚園に行かせようと考えており、他の選択肢の発想自体なかった。妻は私と正反対で、ホームスクールをさせたいと事あるごとに言っていた。
だが近くにモンテッソーリという、子供の能力を伸ばす個性的な私立幼稚園、小学校があり、そこならばと言うことで3歳から通わせた。だが、教育内容に妻が不満足を感じ出した。元は、先生から言われた作業を私達の子供が簡単にこなしても、同じ事をその後も明日もあさってもやらされるのが苦痛といい始めた。20人以上いる、複数年の生徒がいる、1つのクラスの生徒それぞれの適正を見て、先生が異なった作業をするよう一人ひとり見回り教える。そのため自分の所に先生がやってくるまでは同じ事を繰り返さねばならない。また、先生がまだ早いと判断すれば、新しくより難しいチャレンジングな作業をしたくてもできず、同じことの繰り返しが苦痛だと不満を述べた。
そして下したのは、時間の無駄であり、興味がある時こそ能力を伸ばす最適な時なので、やりたい事があれば何歳用、何学年用などとらわれずなんでもさせてあげる環境を持ちたい、家でやったほうが時間を有意義に使える、(元教師の)妻が自らやると大変やる気、とのことで学校を辞めさせ、以来家で妻が全てを教えている。次回は家でどのようにホームスクールを行っているか、書いてみます。

Read More......

アメリカのホームスクール その1

アメリカではホームスクールを行う家庭が多い。つまり学校に行かせず、基本的に家で親が子供に教える。アメリカでホームスクールを行う3歳から17歳の就学年齢の子供の数は、1999年で約85万人、2003年で110万人、2007年で150万人と、年々増加しているという。それは就学児童の3%以上を占め、内訳は白人が68%、ヒスパニック15%、黒人8%、アジア人4%と、圧倒的に白人家庭が多い。
日本ではホームスクールをさせる家庭は非常に少なく、その考えに否定的、またはホームスクールの概念自体持たない家庭も多いようで、その日米の差には驚く。
なぜアメリカではホームスクールを行う子供が多いか。理由は、91%が学校環境に懸念を抱く、77%が常識、道徳の習得を自ら教えたいため、74%は学校の教育内容に不満足、と続く。経済的事情によるケースもあるが、それよりもさらに、学校の環境に懸念を持つアメリカ人の親が増えている。聞くところによると、一定数の生徒が試験に合格できなければ、その教師はクビにさせられる事があるため、いかに試験で高得点を取れるかという授業になりかねず、本来の教育とかけ離れていると非難する保護者がホームスクールに流れることがある。
また、一部の敬虔な信者の家庭では独自の理念があり、テクノロジーは不要で、地球は5000年前に神により生み出された、等と教えるため、学校の教育はおかしいとホームスクールを行う場合もあるようだ。いろいろ理由はあるが、貧困が原因と言うよりは、多くは学校の教師や教育内容の質の悪さ、親が子に望む教育概念と現実の学校との相違、子供が心身ともに健全に育ちうるカリキュラムや設備等の懸念、他の生徒から受けかねない様々な悪影響などなど、可愛いわが子にはより良い教育をさせたいと思う多くの親が学校ではなくホームスクールの形態を取り、自らわが子に教える。優秀な家庭教師をつける家庭もある。次回に続く。


Read More......

英語の嫌な言葉 続き

英語の嫌な言葉に、I don't know.があると以前書いたが、別にまだある。それはYou know what I mean?(またはYou know what I'm saying?)だ。時々これを連発するアメリカ人がいる。私の経験では黒人に多い気がするが、多用する人はとにかく頻繁に使い、一文に一回入れてくるほどだ。日本語で言うと、「言ってる意味分かる?」なので、複雑で理解するには難しい場合、意味分かる?、と助け船を出してくれる訳で、分からない、と返せばゆっくりと噛み砕いて言い直してくれることになる。
基本的には親切心でその言葉を言ってくれているのでありがたいのだが、しばしばそう思えない使い方をする人がいる。つまり、リズム取りで使うような人がいる。まるでラップでも歌っているかのように、ベラベラ話した最後にYou know what I mean?とつけてくる。別に難しくもない誰でも分かるような事を言ってきても、語尾にその言葉をつけてくる。リズム取りなら、日本語でいうところの、はっきり言って、要は、えーっと、正味の話、などあるが、これらも別にいう必要はない。話し手のくせと言うか、スムーズに話すためのリズム取りである。
厄介なのは、You know what I mean?が疑問文であるため、分かっているかどうか一応聞いてきているので、聞き手は、はい、かいいえで答えねばならない。いちいち聞いてこなくても分かってるよ、という単純な内容でも返事をしなければならないのは鬱陶しく、そこで話の主導権が話し手にどんどん移っていく気がする。主導権が移る、という事は、向こうの好きなリズムで話がより展開されやすく、You know what I mean?がその後も出てくる可能性が高まる。分かる?分かる?と何度も聞かれると、頭でリズム取りや親切心と分かっていても、バカにされているかのように感じいらいらすることもある。ラップのようにあまりにも言葉の端々につけてくる人に対しては、いちいち返事に付き合う気が失せ、返事をしないか、And?と話の続きを急かすかもしれず、できるなら話を切り上げるかもしれない。

Read More......

アメリカでの過剰包装

日本で買物をした際、贈り物用ならその場でたいていラッピングしてくれる。お中元、お歳暮などの贈答用、誕生日などのプレゼント用にラッピングしてくれたり、パンやケーキを買っても見栄えのよいラッピングにしたり、生理用品も見えないように別の袋に入れてくれたりきめ細かいサービスをしてくれる。
アメリカではどうかというと、一言で言えばそんな事はしてくれない。生理用品を買っても他の物と一緒に袋に入れられるし、贈答用にラッピングなどはしてはくれない。もしアメリカのレジで支払いをする時、これは誕生日プレゼントにラッピングしたいのだが、と言えば、ああそう、包装紙はあっちで売ってるよ、と言われる可能性がある。
クリスマス時期など、大きな百貨店やショッピングモールなどに限って言えば、臨時のラッピングサービスコーナーが作られることがあるが、それはかなりまれで、アメリカでは基本ラッピングは自分でやり、店員はしてくれない。たいてい買物する際にラッピングペーパーやリボンなども一緒に買い家で自分でやる。
そういうわけでラッピングを店員がしてくれる、という発想自体アメリカにないので、日本ではラッピングのサービスをしてくれることでたいてい驚く。さらにアメリカ人からすれば度を越したような、芸術的な素晴らしいラッピングをみれば、また驚く。だが同時に、二重三重の過剰なラッピングを見れば、彼らの多くは嫌がる。
特にケーキやパン、生理用品など、自分や家族用に用いるだけのものなら、芸術的ラッピングに感嘆するのではなく、無駄だからやめて、と彼らは言うだろう。日本に行った事のある私のアメリカ人の家族、友人は口をそろえてMostly wastefulと言う。アメリカのスーパーなどでは、買った品物を入れるビニール袋が置いていない店もあり、家からマイバッグやダンボールなどを持参せねばならない。それほど経費削減、資源の保護の観点で行う店が多いので、ラッピングはさらに無駄、という考えが浸透しているのかもしれない。

Read More......

バイリンガル同士の会話で興味深い事

私のオフィスには、二ヶ国語を話す部署がある。そこで働く人々は、私のような英語と日本語の二ヶ国語のほか、英語とスペイン語を話す人々がいる。たまたま彼らは私のデスクのすぐ近くなので、仕事中頻繁にスペイン語が飛び交う。
どちらの言語を母国語として育ったか、その環境によるだろうが、彼らの多くは母国語がスペイン語だ。そして個人的には、スペイン語のほうが英語よりも抑揚が大きく感じる。イタリア語にやや似た、歌を歌っているかのような音程差、強弱差がある口調で、とてもよく聞こえてくる(それに比べ日本語のデスクは大変静かだ)。
彼らが何を言っているのかはさっぱり分からないが、近くで仕事をしているといくつかの単語の意味が分かってくる。満員電車で隣の乗客達の話を聞くようで、全く聞きたくはなく、言い換えれば仕事の効率を邪魔するほどよく飛び交い気が散るのだが、ふとした時に彼らの話を聞けば、少し面白いことが分かる。 彼らの大半はスペイン語が母国語であるが、彼らだけで会話をする時は、スペイン語だけかと思えば、時々英語も使っている。海外に住む日本人が会話をすれば、そのほとんどが日本語によると思われる一方、私の職場では彼らは割りと英語を使う。彼らが話をすれば、突然英語になる。そこは私もよく分かる。と思えばまたスペイン語に戻る。遊んでいるのか、と思う瞬間があるが、そうではない。聞けば、ベースは母国語で、場合により言いやすいほうの言語で話しているという。イメージは、車の運転していて、そのスピードを落とさず進むように、ある話やある単語を言おうとした一瞬、英語スペイン語両方が喉まで出掛かれば、先に出た方を発する、というわけだ。
スペイン語で話し続けていても、ある言葉を言いたい時に英語でひらめいたなら、一瞬止まって意固地にスペイン語での単語を思い出そうとせず、出てきた英語で走り抜ける感じだ。 特に彼らを見ていると、人の話を聞け、と言いたくなるほど、それぞれが機関銃のようにべらべら話し続ける。言った者勝ちのような感じがあるので、もたもた話して主導権を取られたりしないように、またご丁寧に母国語のみで話し続ける必要もないのか、とにかくうるさい。今日もまた、彼らのマシンガントークで気が散るオフィスに向かう。

Read More......

アメリカの卒業式

アメリカの高校、大学の卒業式はどのようなものか書いてみる。だいたい授業が終わる5月末か6月頃に行われ、学生はガウンに四角の角帽をかぶって卒業式に出る。一般的な卒業式では、体育館か芝生のある運動場で行われる。暖かい時期なので、屋外の運動場で行うことが多い。保護者も見に来る。校長先生からの話、主席、副主席の学生からのスピーチがあり、時に会社社長やプロスポーツ選手、作家などの著名人がゲストスピーカーとして出ることもある。とても和やかで楽しい雰囲気で、日本の厳粛な堅苦しい雰囲気はあまり感じない。
そしてアメリカ国歌斉唱し、卒業生一人ひとりに校長先生より卒業証書を手渡していく。自分の子供が呼ばれたら声援を送る親御もちらほらいる。呼ばれた本人自体、バク転して舞台に上がったり、ガウンの下に隠していたコスプレをさらけ出し登壇して、笑わせたりする学生もいる。これらが終われば卒業式はとりあえず終了で、角帽を一斉に空に投げる。卒業生の数によるが、数百人規模でここまで数時間かかる。そこから友人、教師、家族らとの写真撮影がだらだらと続き、仲のよい者同士や家族などで夕食を食べに行ったり、パーティーを開いたりする。
卒業式での曲であるが、吹奏楽部や軽音楽部などによる音楽演奏があるが、日本のように湿っぽい曲ではなく、明るい将来に向かって頑張るぞ、的なノリのよい曲が多い。卒業生達が歌うこともあれば、聞くだけの事もある。興味深いのは、卒業式定番の曲、というのはアメリカではない。日本で言う仰げば尊し、旅立ちの日に、贈る言葉、のような卒業シーズン、卒業式に皆で歌う定番曲がない。同時に湿っぽかったり悲しさが漂う曲は演奏されない。国民性の違いなのだろうが、もし演奏されても、ダンスしたくなるようなアップテンポの曲が多い。例えば、妻の卒業式には、ミュージカルのLetting goや、Green dayのTime of my lifeなどの明るい曲が演奏されたと言う。涙というより笑顔やジョーク、パーティー的雰囲気が満ちるアメリカの卒業式である。

Read More......

日本での思い出の店が閉まると知った時

日本の両親の実家近くにあるデパートが、来月閉店する。私が生まれる前からそのデパートはあり、小さい頃からよくそこで買物をし、多くの思い出がある。母がその寝具エリアで勤めていた頃、小学校で放課後まで友達と遊び、そしてその寝具売場の母に会いに行き、一緒に地下階で買物したり併設のうどん屋でご飯を食べさせてもらったりした。親友の母がそのうどん屋の従業員だったり、高校生になり当時の彼女がそこでバイトをしていて、よく食べに行ったりもした。
最上階にある中華料理店で、北海道セットなる料理を食べた際感動し、北海道ではこんな料理が普通なのかと思い、親にせがんで毎週連れて行って貰うのが楽しみであった。
TVゲームのドラゴンクエストの発売日や、行きたいコンサートのチケット発売日は、そのデパート前に朝早くから並んで買った記憶もある。母はいつもそこで私の衣類、靴、おもちゃ、書籍などを買ってくれ、家電や寝具もたいていそのデパートで買っていた。
小学5年生の時、週末に友達だけでそのデパートに行くと、担任教師にたまたま出くわし、子供だけで来るなとどつかれたこともある。初恋の恋人に誕生日プレゼントを勇気を出して初めて買ったのもそのデパートだ。
たくさんの思い出があるだけに、日本へ里帰りする時はいつも、そのデパートにも行って買物をしたものだが、閉店とは悲しい。聞けば、郊外に大型ショッピングセンターが出来、大半の人がそちらに流れたためと言われる。
同様に、家の近くの中華料理屋も閉店していた。それが分かった時は「えっ!」と声を出してしまった。数年前に訪れたのが実は最後だったのか、と思いをはせた。小学校低学年に、スイミングスクールの帰りに親が連れて行ってくれ、水の塩素で目が赤くなりながら、店内に流れる演歌が独特の雰囲気を出す中食べたのが最初で、渡米直前まで数えきれない程通った。そこの餃子と長崎ちゃんぽんはいまだ私の中で世界最強の味である。
海外に住む者としては、そうそう簡単に帰る訳にもいかないので、より歯がゆい。里帰り時に閉店してしまっていたと知るのもつらいが、来月閉店すると分かっていても帰られないのもまたつらい。海外永住する人には、同じような思いを抱く人がいるのではないだろうか。閉店するのが分かった上で、せめてもう一度そのデパートに訪れ、買物とともに、昔の数々の思い出の場所に行き納めをしてみたいものだ。

Read More......

アメリカ人とピザは、日本人で言うところの?

アメリカ人は本当にピザをよく食べる。どこにでもピザ屋はあるし、レストランでもピザはメニューにたいていある。誕生日パーティー、人が集まった時、各種イベント時にはピザが定番であるし、ゴミの日に通りを歩けば、ピザの空箱をよく見受けられる。
特に週末はピザを食べる家庭はかなりいる。週末くらい料理の手間から開放されたい、との妻方の意図もあるのだろう、夕食はテーブルの上にピザとペプシが占領し、暗い部屋で映画鑑賞しながらくつろぐ、というアメリカの家庭は多い。
私の家庭の場合、妻がベジタリアンで肉や魚の入った物が食べられないので、注文するピザはトマトソースにチーズとピーマンをトッピングしただけの、大変質素なピザである。正直飽き飽きしている。
また誰かの誕生日やイベントなどに行っても、高確率でピザが出る。イベントもしくは週末、イコールピザという式が成り立っている。アメリカに長く住んでいてたいていの事は慣れたが、これほどピザばかり食べるのは未だに鬱陶しく、きっとピザが出るぞ、と思いつつ誰かの家に出かける場合など、予想通りピザが出て、内心またか、と思いつつも、お礼を言い少し頂く。
ある時思ったのだが、日本食で言うと、アメリカ料理のピザは何にあたるのだろうか?それはきっとラーメン(もしくはうどん、そば、回転寿司)だと思う。近くに新メニューのピザが出来たり、新しいレストラン(たいていピザを扱っている)が出来たとなれば、話題になり繁盛している。それはまるで日本で近くにラーメン屋が出来、目新しさで行ってみるのとよく似ている。
アメリカのピザは日本のより安い。30センチ位のラージサイズであっても10~20ドルあれば買え、さっと食べられる。ピザ一切れだと1ドルか数ドルで売っており、忙しいビジネスマンや食事をとる時間があまりない時などはよくピザで済ますこともある。それはまるで回転率の早いラーメン屋や立ち食いそば屋のようだ。
ピザはアメリカ人のソウルフードであり、これからも事あるごとに食卓に出てくるだろう。 私はピザの味に飽きを感じやすいので、高頻度のピザ消費は微妙だ。ラーメン味のピザとかないものだろうか。

Read More......

非常によく使われる英単語

英語で会話する際、非常によく出てくる単語がある。以下にヒントを出しますので何の単語なのか当ててみてください。
それは大体若いアメリカ人が多用し、本来使われるシーンは感動した時、格好いいと感じた時、ほめる時、賞賛する時等であるが、それ以上に単なる相手の話への相づちや返答にもポン、と使われる。例えば「テストで100点取ったよ」と際の返答時や、バク転や何か拍手するほどの特技を見た際の返答に用いられる場合は本来使うべきシーンであるが、一方で「今日は晴れだよ」、とか「「買い物に言ってくるよ」等の返答時にも使う人がいる。
まるで大したことでもない時でさえ、気軽に用いられる印象があり、本来使われるべきシーン以外である、特に感動も格好いいとも思っていなくても、軽々しく単に返事をしているだけかのようにその言葉を用いられるので、本当にそう(感動したり格好良く)思ってその言葉を言っているのかと首をかしげる時もある。
その単語は、Coolである。日本語で言えば、すごい、である。また、上記のような場合だけでなく、本当に感動したり格好良く思う時であっても、いつもCoolを用いるのも味気ない。Coolだけでなく、Great, Wonderful, beautiful, Awesome, Super, Oh my God, Fantastic, Amazing, splendid, unbelievable, the best I've ever seenなど、いくらでも賞賛する際の言葉はあるが、ただCoolで置き換えて終わってしまう。日本語のすごい、に関してよく似た気持ちを抱く人も多いのではないだろうか。
純文学だけでなく様々な本や雑誌などを読めば、多くの語彙に触れそれらを自分の言葉として加えられ、表現がより多彩になると思うが、ともあれCool使用なしの日が出来たら面白いかもしれないと勝手に想像するほどである。

Read More......

アメリカでの献血

アメリカでは献血が比較的盛んに行われている。場所はスーパーやレストラン、教会やショッピングセンター等の駐車場の一角に、献血カーが現れ、通行人が気軽に訪れ、すぐ献血出来るようになっている。
日時は人々がそれら商業施設によく訪れるのに合わせて、週末によく見かける。冬の雪が降る寒い日でも、献血カーをしばしば見かける。時間は混み具合によるが、たいてい30分程度で全て終わる事が出来る。
そして献血をすれば、通常何かをくれる。例えば、Tシャツだったり、コーヒーカップだったり、近くのコーヒーショップ、服屋、スーパーなどで使えるギフトカードだったり、ステッカーやボールペンなどの筆記用具など、いろいろもらえる。
地域のため、人のため、何か自分も貢献したいという、たいていの人が心の中で思っている感情を、献血では気軽に達成することが出来る。義理の母やいくつかの友人は昔からやっているが、妻のように子供が幼く乳をやっている時期でも献血に行っていた。人助けをするのはいい事だから、と惜しみなく献血をする。
一方で、献血の担当者から、結構頻繁に勧誘の電話がかかってくる。今週末どこどこで開催するから献血どうですか?、の勧誘が割りとしつこい。週末の予定はかなり事前に立て、たいてい埋まっていることが多いので、そうそう毎週献血のためだけに特定の開催地に出向けるわけではなく、何かの用事で出かけた際、隣接して献血カーがあれば、スキマ時間を使ってついでに献血したいスタイルだから、などと妻は言う。とは言いながらも、献血にはよく出かけ、ギフトカードなどをたくさんもらって来る。私は行かないけども。

Read More......

アメリカ人女性の典型的な顔

これは私の独断であるのだが、アメリカ白人女性の典型的な顔のようなものがある気がする。それは、ややケバくて、目元や口元に化粧をつけ、濃い茶色の髪の毛で、肌は白ではなく茶褐色で、オリジナルが白でも時に日焼けサロンで茶褐色にし、時に整形し、ナチュラルビューティーやすっぴんの美しさとは異なり、どこか人工的で造っていそうで、ヨーロッパのそれとは少し異なり、みずみずしさや清楚さ、素朴さはあまり感じない。
例えて言うなら、マライアキャリーやジェシカアルバのような顔だ。目元のアイラインは上下とも結構つける。美しいが、自然な美しさはあまり感じない。すっぴんや、あるがままに近い顔ではない。そのため、アメリカ人か他国か二者択一をするならば、勿論完全ではないが割と判別できそうな気がする。
同じ白人でも、何となく人工的な印象がする場合、もしかすればアメリカ人かもしれない、と思えてしまう。

Read More......

アメリカの養子縁組

アメリカでは養子縁組がよく行われる。日本では年に数百件ほどだが、アメリカでは10万件以上の養子縁組が行われると言われる。アメリカに住み始めた数年は、結構養子のケースが身近で多いな、と驚きはあった。
実際、私達の友人にも養子である人も多い。アメリカ国内での養子縁組だけでなく、韓国で生まれ、アメリカ人夫婦に引き取られ養子となった人や、他にもエチオピア、コンゴなどのアフリカや、インド、ベトナム、ヨーロッパで生まれた子供がアメリカの夫婦に養子として引き取られ生活する人などは、身近にたくさんいる。両親(里親)と子供(里子)で明らかに肌や髪の色が異なっていても、別に他人に隠すこともなく、養子なのだとして堂々と暮らしている。周りの人々も、取り立てることでもないように、普通に接する。
なぜ養子がアメリカでそれほど多いかというと、いろいろな状況があるが、多いのは実の両親が貧困であったり、アルコール中毒や薬物常用者であったり、母子とも健全な生活を送るのが難しい場合があり、同時に彼らを支援する養子縁組を斡旋、支援する団体がアメリカで以前から活発に行われてきたからとも言われる。
また、日本のような単一民族が住む国家でなく、アメリカはもともと人種のるつぼである多民族国家である性格から、世間の受け入れも比較的スムーズに行ったのかもしれない。私達夫婦は、昔子供がしばらくできない時期があったが、その際妻は養子を受け入れるのはどうか、と気軽に提案してきたくらい、日本人よりもより身近に養子について感じている気がする。

Read More......

日本の旧友と話す際に感じること

数年ぶりに日本へ帰ると、当時の学生時代の友人と話が咲く。数年間どうだったかの近況を話すほか、学生当時の思い出話などをする。アメリカに永住してかなり経つ私にとっては、日本での思い出は基本的に渡米以前のものである。それ以降のこと、例えば現在の流行語や有名人、人気の商品など、今日本で住む日本人が普段の会話で出しているそれらを、私はたいてい知らない。
だから久しぶりに旧友と会う際、今流行っている物事を彼らが言ってきても私は基本分からないし、一方私が用いるネタはかなり古い。例えば、宮路社長のように現金主義だから、と言ったり、スタンハンセンがレスラーで一番最強だ、と言ったり、クロマティーのような構え方だな、と言ったり、タケちゃんマンみたいなハロウィンコスチュームと言ったりするなど、渡米前で基本止まっているのでそこまでが私にとって一応最新の部類である。歌手のアンジェラ・アキも、10年振りにアメリカから帰国すると、オバタリアンなど一昔前の言葉を使っている事をツッコまれた、と言う。日本の最近の流行を言いたくてもよくわからないので仕方ない。
一方旧友たちにとっては、昔の記憶の引き出しを探して時間がかかっているような思い出話や、当時の流行のネタがあっても、それらは私の渡米前の情報に時期が近いので、比較的すぐ答えられる。だが彼らは、よく覚えているなー、とか、すごいところ突いてくるなー、などと、昔の話の私の詳しさにたいてい驚かれるが、私が記憶力が凄いのではない。毎日彼らは日本の最新情報に触れ、古い情報はどんどん記憶の後ろに押しやられるかもしれないが、私にとっての日本での情報は、渡米時までがメインで、アメリカ在住年数分、日本関連は容量が少なく済み、これからも日本関連の情報は彼らと同じペースで増えないだろうから、時代遅れというか、タイムスリップして未来に来た人間と話しているようなものかもしれない。

Read More......

大人のアメリカ人用プレゼント

子供の時分は親や友人らに誕生日を祝ってもらい、プレゼントを貰うが、大人になり、家庭を持ち子供もできれば、それは子供のためだけと、自分の誕生日を祝うことがなくなっていく。しかしアメリカでは、大人になっても比較的誕生日を祝う。親類や友人を集めて、まるで子供のとあまり変わらないような誕生日パーティーをする人が多い。もともと人が集まりわいわいがやがやするのが好きなのか、アメリカ人は特に理由もなくパーティーをするくらいなので、年を取っても誕生日は格好のパーティーとなる。
当然、誕生日プレゼントも然りで、たいてい贈りあう。贈る相手である自分の両親、叔父叔母、いとこ兄弟、祖父祖母、友人らがもう50,60代になっていても、贈ろうとする。よくあるのはギフトカードや、現金、花束、ビール、ワインなどをバースデーカードとともに送るのだが、そういうありきたりでいいけども、中には今流行っているものや、これから流行しそうなもの、珍しいもの、オォー、と感心するような誕生日プレゼントを贈る人もいる。
贈る相手は大人なので、たいていの店で売っている商品は知っている。近くの店ですぐ買えるような物を贈るのは面白くないと、ユニークで発想がなかったような、クールな物を贈ってくれる人もいる。
例えば、ウェブサイト等で調べて、とてもよく落ちる洗濯用洗剤を作って箱に入れて贈ってくれたり、オーストラリア旅行した際に、上下逆さまになった世界地図を買って贈ってくれたり、アフリカ産の原住民の形をしたクリスマスオーナメントを贈ってくれたり、大便した後に使う大便専用スプレーだったり、自作のガラス細工で作ったネックレスを贈ってくれたり、見たこともないような味と香りのする紅茶の葉だったりと、どれだけ高価かではなく、どれだけ驚かせられるか、どれだけユニークで印象的か、をメインに贈ってくれる人もいる。受け取った方は、わざわざいろいろと考えて、こんなユニークな物を贈ってくれたのか、と感激することがあるし、そう思われたいがために、私もあれこれとプレゼント用ネタ探しのアンテナを広げている感覚で過ごしている。

Read More......

昔の駐在員の生活

私の職場におられる日本からの駐在員には、過去にもアメリカやアジアなどに駐在経験のある方がちらほらおられる。数年海外で駐在し、日本に戻り、また数年後海外のどこかに駐在する、というような職歴のある方々で、彼らと会えばその苦労話をよく笑い話として聞かせてくれる。
例えば4回も5回も海外駐在に付き合わされたある駐在員の奥方は、次また駐在が決まればあなた一人で行ってよね、と言われ、冷や冷やしながら毎年の人事異動のシーズンを迎えると言う。
今やアメリカのこんな片田舎に住んでいても、日本のテレビ番組を見れるが、1980~90年代にアメリカに駐在した方たちは、そんな環境ではなく、例えば紅白歌合戦や面白いテレビ番組を日本の家族にビデオ録画してもらって、テープを郵送で送ってもらい、それを他の駐在員たちにも貸してあげて回し見したりしたと言う。
また今では楽天などいろいろなサイトで、日本食や日本関連の品物を海外発送し受取れ、近くに日本食レストラン、日本食スーパーなどが出来、かなり便利になってきたが、昔駐在した際はそういうものがなく、外国産のパサパサした米や外国産のカップラーメンで済ませたり、日本の家族から定期的に日本の調味料、カップラーメン、本等を小包で送ってもらったりしていた。日本食は貴重で高価であるから、分け合ったり、持ちより皆で鍋をしたりした方々や、中には味噌やうどんの麺、漬物などを出来る限り自分達で作り続けた駐在員ご家族もいたという。不便であればあるほど、他の駐在員たちと助け合う、横の繋がりは今よりも強かった、と話す方もいた。
苦労があった分、今となってはいい思い出ですよ、という彼らの顔を見れば、昔の駐在生活は今よりも大変であったのだろうと容易に察しがつく。それに比べれば今は何と便利になったことか。最新の朝の連続テレビ小説を見たり、日経新聞や週刊誌を読んだり、美味しい日本食を食べてから、アメリカの会社に出社することが出来る。恵まれていると再認識させられる。

Read More......

ゾンビ大好きアメリカ人

アメリカ人は本当にゾンビが大好きだ。ゾンビ関連の映画、TVショー、TVゲーム、フィクションの本、ハロウィンのコスチュームなどは大変多く、人気は不動のようだ。
アメリカでは、忍者、バンパイアものも人気だが、ゾンビはそれと同等か、それ以上の人気がある。日本でホラーものと言えば、白く足がないお化けや、ろくろ首、一つ目小僧、鬼、天狗、閻魔大王、三角頭巾を額につけた幽霊、地縛霊、貞子など、いくつかあるが、アメリカでは(貞子を除き)それほどバリエーションがない。ホラーものといえばゾンビ、バンパイア、ジェイソン、チャッキー程度だ。
なぜゾンビがそれほど人気で怖がられるのか。いくつか理由があると思うが、私が思うに、アメリカでは土葬されることがまだあり、その死体が生き返りゾンビとなってさまよい襲うかもしれない、と不安になるためかもしれない。
墓参りをしに墓場へ行くと、たいていは火葬であるが、たまにこんもりと盛り上がった地面の上に、花束が置かれているのを目にする。明らかに土葬されたもので、最近埋葬されたのか、そこだけ芝生がなく、目立つ。聞くと土葬は結構あると言う。埋葬すぐなら身長ほどの長さの土が盛り上がっているので土葬と分かるが、しばらく経つと火葬か土葬か分からなくなる。現実的に墓で土葬されており、そうした土葬された死体が甦り、ゾンビとなって襲ってきたら、という潜在的な不安があるので、アメリカではゾンビが人気なのかもしれない。

Read More......

日本里帰りで日本人が利用する航空会社

海外永住者の日本人ならば、やはり日本に里帰りしたくなる。その際どの航空会社を選ぶかだが、日本人ならやはり日系のANAかJALを選びたくなる。実際乗れば、やはり日本人だらけで、搭乗口で既に日本人が集まり、久しぶりに周りから日本語が聞こえてくる事が、日本に行けるんだという気持ちを高めてくれる。
だがなぜ日系航空会社を選ぶか。それは人それぞれだが、日本人キャビンアテンダントがいるので機内で英語を話さなくても済む事、日本食の機内食、日本語字幕の映画やテレビ番組、日本の歌、日本語の新聞雑誌等がある事、より清潔感ある機内であること、有事の際でも日本語なので理解しやすい事、アメリカ人キャビンアテンダントでは滅多に見ないような、細かな心遣いを感じるサービス、日本国内線乗継ぎがしやすい、マイレージ特典で欲しいものがある、などなど、いろいろある。同じ行程でも、日系航空会社便は他社よりやや料金が高めだが、それでも日系会社を使いたい上記等のようなメリットがあるのだろう。
いくら高くても日本との往復は日系を使う、というアメリカ駐在員は私の周りに多い。気持ちはよくわかる。快適な時間を過ごしたい、日系会社でマイレージを貯めたい、何らかのトラブル対応時にそのサービスに歴然とするから、と言う。
今まで私も他社のフライトを用いた際、笑顔もなく無愛想で、面倒くさいのか超早口の英語で、妻でさえ何を言っているか理解できない程で、客を家畜のように扱うようなキャビンアテンダントを何人も見てきた。安さを追求してより不愉快になりうる飛行時間を耐えるか、高めの費用を出し日系のフライトで日本里帰りを既に体感するか、そういうものを計りにかけると、悩みどころであるかもしれない。

Read More......

つららが出来る家の特徴

先日、家のfurnace(ファーネス。アメリカ寒冷地の家々にある暖房装置)を交換しようと、見積を取るために業者に来てもらい話をしていた。その際彼が言うには、最新のファーネスにすれば確かに熱効率がよく、ガス代が安くかつ早く暖まるが、それ以外の箇所もあわせてチェックしたほうがいいと言う。
いろいろチェック項目を提案されたが、注意点は屋根裏だ。アメリカの家の多くは、屋根裏がある。それを部屋にする家もあるが、私の家のように何も使用しないならば、断熱材をかなり入れる必要があると言われた。
私は随分前に自分で断熱材を入れた。住むエリアによりどれだけ入れるべきか変わるが、高さは約12インチ入れた。業者はもっと入れたほうがいいと言う。この地域では16~18インチまで入れると完璧で、部屋の暖まった空気が屋根裏に出て行かず、部屋の暖かさをより保てると言う。
具体的にどれくらい断熱材を入れれば問題ないレベルなのか聞いてみた。すると、簡単な目安として、つららが家の屋根からつたっている場合、屋根の断熱材が適切でない場合があるという。確かに、車を運転していれば、たとえ同じ通りの家々でも、つららが全くない家、屋根から地面までつくほどの数メートルの巨大なつららがたくさんある家など、いろいろ見受けられる。そういうつららがある家は屋根などの断熱材が不十分である場合があるらしい。
理由は、部屋の暖かい空気が屋根などからたくさん出て、外の屋根に積もっている雪を少し溶かす。しかし雪が積もるくらいだから外気は依然冷たく、雨といの箇所からつららが出来、寒い日が続くとどんどんつららが出来るという。 私の家はつららが全くでない。それでももっと断熱材を入れたほうがいいと言われるので、近々また自分でいれてみようと思う。20万ほどで業者でもやってくれると言うが、綿のような紙くずをホースで入れるだけなので、ホームセンターで断熱材を買い、無料貸し出しのポンプとホースを使い、自分でやることにした。
もし日本に住んでいたならば、私は全て業者に任せるだろうが、アメリカでは日曜大工ができないと不細工な男、みたいに思われる価値観が少しあるので、節約も兼ねて私も見よう見真似で取り組むようにしている。

Read More......

アメリカ寒冷地の暖房法

NYにある私の家のような雪国のエリアでは、家にFurnace(ファーネス、暖房炉)なる大きな暖房器具が設置されている。たいてい地下か家の中心に、高さ一メートル以上の直方体の機械があり、ガスを用い、機械の中で風を温風に変え、パイプをつたい各部屋を暖める。各部屋にはファーネス専用の通気口があり、そこから温風が出てくる仕組みだ。日本のようなエアコンやこたつはほとんど普及しておらず、アメリカの寒冷地ではたいていこのファーネスで暖をとっている。
このファーネスは、たいてい寿命があるもので、20年から25年で新しい物へ交換が必要だ。私の家のファーネスは、22年経ち、運転中の音がうるさくそろそろ交換が必要であったので、先日業者を呼んだ。
日本のエアコンであれば、10万もあれば済み、また温風冷風が使えるので一年中使え、壁にかけるのでそれほどかさばらない。一方アメリカのファーネスは、冷蔵庫並みのサイズでかさばり、値段は本体、設置取付費用込みで50万程度する。かなりの出費である。近くのLowesなどのホームセンターに行けば、ファーネスを売っている店があるが、日本のこたつやエアコンで親しむと、なかなか暖房器具に50万も60万も出すのに躊躇する。
日本からこたつを郵送してもらったり、ハロゲンヒータなどで済まそうかとも考えたほどだ。だが州によっては、補助金が出るところがある。条件が合致すれば全額補助もしくは半額補助してくれるので、活用してみたい所だ。

Read More......